★昭和32年(1957)川崎航空機に入社以来、ちょうど40年間、カワサキの二輪車を中心に勤めてきたサラリーマン生活もこの年の6月で退職卒業をした。
この年の6月から2年間と言う約束で、札幌に単身赴任と言う初めての経験で赴任したのである。
この時の身分は、川重は退職しているからフリーである。
確かに川重の関係会社ではあるのだが、子会社ではない札幌の地元資本の会社である。そこの経営をと言われると、どの立場でどのようなスタンスで臨むべきか?
なかなか難しかったのである。
このホームページの写真にあるような建機の販売会社なのである。
昭和44年設立で、札幌の南、北広島市にある。
従業員は約200名、道内15か所に支店があり主として川崎重工製の建設機械の販売に当たっていた。
この会社の設立、オーナーであった丹野さんが亡くなった後、社内から社長を引き継がれたのだが、その方が退かれてその社長を川重に求められたのである。
自前の独立会社の経営は、いろいろと歴史も社風もあり、メーカーの単純な子会社とはちと違うのである。
役員の方々も、この会社の経営者であると同時に株主でもある。
現在、代表取締役をされているお二人、丹野さんと、大滝さんは、その当時も役員としておられた方である。
一言で言えば、優良会社である。
優良会社であるがゆえに、メーカーの子会社になっていないとも言えるのである。
そんな会社で、ちょうど2年間お世話になった。
お世話にもなったが、ちゃんと自分なりに、自分なりの経営をさせて頂いた。
全く未経験の分野であったが、私なりの行き方を貫いて、何とかなったからオモシロかったとも言えるのである。
★いま代表取締役をされている大株主の丹野司さんからは、就任してすぐ『社長は何年やっていただいてもいい』などと言って頂いたが、単身赴任であったし『約束通り2年で』と言うことでスタートしたのである。
単身赴任も初めて。
札幌も、北海道も初めて。
二輪一筋だったので、建機などの業界は初めて。
自前の会社の経営も初めて。
と言う『初めてづくし』で大変と言えば大変であったのだが、2年間と言う期間でもあったし、
初めから、勉強などしていたら、勉強期間の内に終わってしまうと思ったので、新しいことは全く勉強しないことにして、全て『私の流儀で』押し通したのである。
『私の流儀』とは、『世の中の常識で普通に考える』ことである。
『北海道では』『この業界では』『北海道川重建機では』と世の中でよく言われることは、自分に都合のいいように言っていることが多くて、そんなに正しくないことの方が多いものである。
二輪の世界にいた40年間も、そんな風習みたいなものを全部ひっくり返して、新しい仕組みを造り続けてきたのである。そのベースは全て『常識で考えた』のである。
だから、それで、通用するはずだと思っていた。
2年間、建機の世界にいたが、取扱商品の機種や名前や仕様などは極力覚えないように努めた。
個別の営業取引などにも一切口を出さなかったし、よほどのことがない限り取引先なども訪問しなかった。
じゃ何をしていたのか?
と言われると困ってしまうが、何となく気分よく過ごしてきた2年間であったが、社内の空気はちょっと変わったはずである。
私の次に、また川重から社長がスムースにやれるような雰囲気にはなったはずである。その後実際に2人の社長が川重から出たのである。
そんなに、煙たがられたり、嫌がられたりせずに、楽しく過ごせた2年間であった。
考えてみるともう10年以上も前のことだが、いまだに年賀状も頂くし、想い出多い札幌の2年間だったのである。
★たった2年間ではあったが、いっぱい経験したし、北海道で感じたこと、札幌ならではのこといっぱいある。
このブログの中にも、
『北海道&建機』と言うカテゴリーを作って、15回ほどいろんなことをアップしている。
今回の『自分史』も時系列に言えば2年間だけだが、
2年間の内に感じたこと、思ったことなど、『自分史』の立場で書いてみたい。
何回になるのかよく解らない。
思いつくままに、いろんな観点から、書いてみたい。
★まず、『雪国』 『北のまち、北の国』のことから、
子供の頃、小学生6年の冬まで、朝鮮京城、今のソウルにいた。
冬は寒いのが当たり前であった。その寒い冬を経験できるということに不思議な期待感があった。
その後若いころ、30代の頃、仙台に4年いて東北の冬は経験した。
この4年間も、想い出多い4年間だし、更に寒い北海道の冬、まさに雪国での生活は、ソウルでも仙台でも経験したことのない初めてのモノだった。
6月に赴任した時に、北海道の広さと夏の爽快さにあこがれて、一戸建ての社宅を希望したら『トンデモナイ』と反対されたのである。
札幌の雪は、経験してみてそれは大変であった。
マンションだから『雪かき』は不要だが、これが1戸建てなら、毎日雪かきするだけで終わってしまうほど雪が降るのである。
その除雪がまた徹底していて、そのために雪かきの建設機械が北海道中で必要なのである。
そのために、国の予算で各地で建機の注文が入ったりするので、北海道川重建機の経営は、本土のあたたかい地域に比べて圧倒的に有利なのである。
北海道の除雪のエネルギーは半端ではない。札幌のまちなど幾ら雪が降っても、メイン道路に雪はないぐらいの除雪なのである。
東北での4年間も雪道走行はイヤと言うほど経験した。
雪道走行では怖い思いを何度もしたが、この札幌ではそんな経験は全くなかったのである。
『4駆のクラウンの想い出』と既にブログをアップしているが、
クルマの性能も、タイヤも30年の年月では、想像できないほど進歩するものである。
札幌の冬は寒い。寒いというより外は刺すように冷たい。
然し部屋の中は、逆に無茶苦茶温かい。
2年間、殆どオーバーを着ることなく生活できたのも、外にいるのはクルマの外にいるときだけだからである。
2年間、冬に外を歩き回るという経験は殆どしなかった。
冬になると、人生3度、寒地で過ごした冬が懐かしいのである。
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