★昨日は 『城北ライダース60周年記念パーティー』
こんなに沢山の出席者で、ご盛会だったようで何よりである。
城北ライダース現会長久保亨さんとはFBで繋がっていて、昨日のパーティーには、実は私もご招待を受けていたのだが、どうしても出席できずに残念だったのだが『ご招待された』こと自体が大いに光栄だと思っているのである。
Facebook から拾ってきた写真だが
真ん中、久保和夫さんである。
星野一義の顔も見える。
★カワサキがモトクロスの世界に初めて参入した昭和38年当時(1963)城北ライダースは久保和夫・鈴木誠一・矢島金次郎・菅家安智などなど超一流選手を揃えた文字通り日本でトップのクラブだったのである。
『城北ライダース』はスズキのファクトリーのような形だったし、カワサキも『カワサキコンバット』や『神戸木の実クラブ』と密接に繋がっていた時代だった。
私はスズキやヤマハのライダーの方たちなどとも親しくさせて頂いていたのだが、城北ライダースのエースライダーであった久保和夫さんとは、何故か特に親しくさせて頂いていて、懐かしいいろんな想い出があるので、そんな昔話をちょっと。
城北ライダースのホームページを飾っている久保和夫さん、125・250クラスでは、誰もが認める第一人者で、スズキの久保和夫、ヤマハの荒井市次の両巨頭がモトクロス界に君臨していた時代だった。
★これはごく最近と言ってもいい。
2012年7月2日に、東京であった『酒井文人& クラブマンレースを語る会』に出席している。
会場に到着するなり、久保和夫さんに会った。 一番会いたかった人でもある。
カワサキのマシンでマン島のプラクティスで亡くなった藤井敏雄くんを紹介してくれたのも久保さんである。
久保に勝って初めてカワサキは、モトクロスの世界で認められたのである。
東京オリンピックの開会式の当日、伊豆丸の山高原で開催されたMCFAJ全日本で山本隆君は久保、荒井の両雄を抑えて、真ん中に立ったのである。一番右は亡くなった梅津次郎である。
そんな想いの交錯する城北の菅家安智を交えたショットである。
当時の雰囲気をそのまま、今でも持っている。
40年振りに城北ライダースの久保さんや菅家さんにも会えたのだが、このパーテイーには、村島邦彦さんと『二輪文化を伝える会』の松島裕さんを一緒にお連れしたのだが、松島さんの活動はこの会を機会に大きく羽ばたいたとも言えるのである。
★ちょうど1年後の2013年7月、 全日本MX Legend Riders 記念パ―ティー が東京品川で開催されたのである。
https://www.facebook.com/rfuruya1/media_set?set=a.640038466006791.1073742118.100000019311141&type=1
『二輪文化を伝える会』がお手伝いをして、久保和夫、山本隆、吉村太一、鈴木忠雄、小嶋松久と言う超有名ライダーが発起人で、まさに全日本の日本を代表するモトクロスライダーたちが集なったのである。
それは久保和夫さんの開会の挨拶で始まった。
★これも同じ年の3月、こちらは西の名門マウンテンライダースの50周年パーテイー。
この時も久保さんとご一緒した。
一緒に参加していた山本隆くんと、久保ご兄弟、シャッターを押したのは私である。
★ライダーたちとの出会いは、『私の人生を豊かなもの』にしてくれたと思っている。
夫々『世界の・・』とか『日本の・・』と呼ばれる人たちに成長して、そんな人たちと『昔の儘の関係でお付き合いできる幸せ』を感じているのである。
既に先に逝ってしまわれた方も多いのだが・・・そんなライダーたちの写真を紹介してみる。
有名人ばかりだから、敢えてお名前は付さないが・・・
これは荒井市次さんの生涯最後のレースになったのだと思うが、その場におれてよかった。
荒井さんとも何となく『繋がっていた』のである。
★そして最後に、
城北ライダース60周年記念パーティー にこのカワサキの3人で『お祝いのメッセージ』を動画に纏めてお送りしたのだが、
カワサキらしさも幾らか出てるかなと思うので、クリックしてご覧になってみてください。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm33256081
城北ライダース60周年おめでとう モトクロスの創生期、名門中の名門 『城北ライダースの60周年記念』にカワサキ関係のレースOBがお祝いのメッセージを贈っています。
全日本モトクロスチャンピオンの山本隆、カワサキチームグリーンの創始者平井稔男、カワサキの当時のレースマネージメントを担当した古谷錬太郎、そして故堀ひろ子と共に女性で初めて鈴鹿を走り、アフリカのラリーにも一緒に挑戦した腰山峰子さんからもお祝いの言葉を。