★朝、ちょっと早い時間ですが『おはよう日本』で『熊本・水俣病語り継ぐTシャツ』という番組を見ました。
『水俣病』ずっと昔のことだったぐらいにしか覚えていないのですが、改めていろいろと解りました。
水俣病(みなまたびょう)は、1956年(昭和31年)5月1日に熊本県水俣市にて公式発見され、1957年(昭和32年)に発生地の名称から命名された。1942年頃から、水俣病らしき症例が見られたとされる。1952年頃には水俣湾周辺の漁村地区を中心に、猫・カラスなどの不審死が多数発生し、同時に特異な神経症状を呈して死亡する住民がみられるようになった(このころは「猫踊り病」と呼ばれていた)という。
1946年:日本窒素がアセトアルデヒド、酢酸工場の排水を無処理で水俣湾へ排出。 1949年頃:水俣湾でタイ、エビ、イワシ、タコなどが獲れなくなる。 1952年:熊本県水俣で最も早期の認定胎児性患者が出生。ただし認定は20年後。 1953年:熊本県水俣湾で魚が浮上し、ネコの狂死が相次ぐ。以後、急増。 1954年:8月1日付熊本日日新聞で、ネコの狂死を初報道。
★ そんな水俣病を忘れないようにと、いろいろな活動が行われているようで、 その中の活動の一つとしてこんなTシャツが創られ、販売されているようです。
https://gaiaminamata.shop-pro.jp/?pid=121170163 の中でこのように説明されている。
水俣病事件の史実のひとつ、猫400号実験をモチーフにしたTシャツです。
水俣で暮らす夫婦創作ユニット「HUNKA」のおふたりに、制作を依頼しました。
「水俣をちゃんと伝える。そしてそこには愛やユーモアを添えたい」と願う気持ちを、このTシャツいっぱいに表現しています。
I died here.(わたしはここでしんだ)
I was here.(わたしはここにいた)
I am here.(わたしはここにいる)
猫400号ってなあに?
猫400号は、チッソ水俣工場付属病院の院長だった故・細川一先生が、
水俣病発生の原因が工場排水にあるのかどうかを確かめるべく行った通称「猫実験」の、400番目の猫です。白黒ぶちの、メス猫でした。
しかしながら、この猫400号の存在をチッソが公表することは、ありませんでした。
細川先生は、科学者であり医師でありながら、会社に属するひとりの人間でもありました
1956年の水俣病公式確認から60年以上を経た現在も、水俣病は終わっていません。
たくさんの命が犠牲になって、現在の水俣があります。
その命に、少しでも想いを馳せたい。感謝の気持ちを伝えたい。
「あなたを忘れない」と言い続けたい。
そんな私の意思表明のひとつのかたちが、この猫400号Tシャツです。
お手にとって(着て歩いて)いただけると、嬉しいです。
― ガイアみなまた 高倉鼓子 ―
★戦後の日本を象徴する事件だったように思います。
私が社会に出た今から60年前のことですが、私も初めてその詳細を知りましたので、ブログに残しておきたいと思ってアップしました。