★ 早いもので今年の師走も残り10日ほどになってしまった。
今週は12月21日がやってくる。12月21日は結婚記念日なのである。
もう50周年は過ぎてしまったので、今年は何回目かと数えてみたら56回目なのである。
50周年の時は、息子がアメリカ行きのビジネスクラスを贈ってくれたし、娘がアメリカでこんな写真を撮ってくれたりした。
なぜ、こんな年末の忙しい時期に結婚式を挙げたのかというと、当時はカワサキの二輪事業が立ち上がったばかりで、単車営業課はわずか数人で、今で言うと企画・管理・品証・営業など事務屋が担当する全ての機能を引き受けていて、めちゃめちゃ忙しくて月初めなどに結婚式を挙げて休むなど、とても考えられなかったのである。
どうも私の場合は、なんでも大雑把でいい加減で、何事も『こうでなくてはいけない』などとは思わないのである。会社の連中が、『月初めはダメだ』と言うものだからこんな時期になってしまったのである。
ただ、周囲の人たちが手伝ってくれて、結婚式や披露宴などの準備は高校・大学での野球部の親友が全てやってくれて私は殆ど何もしなかったのだが、丁度年末で野球部の連中の忘年会の一次会にするから披露宴は是非3時からにしてくれと頼まれてそんな時間からの披露宴だったが、その代り確か、費用の一部を野球部の連中が負担してくれたのではないかと思うのだが、それがよく解らないのである。私は『これだけ払え』と言われた金額を支払っただけである。
新婚旅行は、会社の直接の上司で大学の先輩の坂口さんが、北陸から信濃の旅がいいとすべて創ってくれたので、その通りの旅程にしたのである
そんなことがあんまり気にならない性格なのである。
★めちゃめちゃ楽しい披露宴で、朝鮮京城時代の先生や学友や野球部の連中など100名ほどが参加して、司会の取り合いなどもあったし、まさに忘年会の一次会で、私も歌など歌わされたりしたのである。
家内も神戸高校卒だったので、咄嗟に私は『神戸一中校歌』を歌ったのだが、こんな歌詞で『わが世の春』を感じていたのだと思う。
『群らん色は紫に金波さ揺らぐちぬの浦 東大野をどうどうとと朝日このぼる曙や 希望の光輝けるわが世の春に似たるかな』
歌詞はムツカシイが、誰でも歌えるやさしい歌なのである。
★考えてみると不思議な縁で、家内に初めて出会ったのは、昭和32年川崎航空機に入社してすぐ隣の課に彼女はいたのである。その年の夏に映画に誘ったら付いてきて、それ以来のお付き合いだから、今年でちょうど60年になるのである。
人生60年を一緒に過ごしたのだが、付き合い始めた時の印象とは一変しているから不思議である。一見明るく派手な感じだったので家のことなど出来るのかなと思っていたのだが、それが全然違っていて、専業主婦として掃除・洗濯・食事の支度・後片付けなど、全て家の中のことは家内の担当で私は何もさせて貰えないのである。
ただ、車の運転は出来ないので買い物の運転手だけは『私の役目』なのである。それ以外に手伝うことがあるとすれば、『ごみ捨て』ぐらいのものである。
最近10年程は、アメリカの娘のところに2ヶ月ほど遊びに行くのが定例化していて、その間は私が独身で留守番をして、それこそ家事一切を結構上手にやるのだが、戻ってくると『私のやり方』では気に入らなくて、一切やらしては貰えないのである。
この1,2年は私も1ヶ月ほど、アメリカにも付き合っているのだが、これは今年の9月だが、二人とも80歳を超えているのに、アメリカの環境はこんな『若作り』も許容してくれる。こんな気分転換や環境の変化がいいのだと思う。お陰様で二人とも元気にはしている。
私は日記を書いているので、結婚記念日はちゃんと覚えているのだが、家内は放っておくと年末の忙しさで『結婚記念日』など忘れてしまっているので、12月も半ば近くになるとカレンダーに『結婚記念日』と書き入れるのはいつも私で、そうしておくと、何となく『12月21日』は違った献立になったりするのである。
今年はその前日の12月20日にアメリカの孫が遊びにやってくるので、多分間違いなく立派なご馳走が並ぶはずである。
★60年もずっと一緒にいたのだが、夫婦とは一体何かな と思う。
最初に誘ったのは間違いなく私だが、付き合ってた時代は、間違いなく家内の方が熱烈だった。
それが『こどもが生まれたら』それは一変して、関心の殆どがコドモに移ってしまったように思う。母親のコドモの育て方は、男には真似のできないレベルのものである。子どもを産み、育てるという事業は、女性にとって大事業だと思う。我が家では間違いなく二人の子供は家内が育てた。私は横で見ていただけである。
母親がちゃんと育てた子どもは間違いなく『いい子に育つ』
保育園などないアメリカは小学生までは、親かベビーシッターが横についていなければならない。子供の育て方は「アメリカを見習うべき」だと私は思っている。
こどもたちが独立して、家計も幾らか余裕が出来た数年にちょっと戻ってきた感じもあったが、孫が出来たら『孫への関心』はまた異常と思えるほどである。そんな孫たちももう20歳前後になっているのだが、それは今も尚続いている。
お蔭様で元気な時は全くの無関心だったのだが、私が68歳の頃札幌でくも膜下で倒れた時と、2年ほど前に家内が足を骨折して入院した時は2ヶ月ほど、毎日病院を訪ねたりしたのだが、元気になるとお互い忘れてしまうのである。
まあ、そんなもので『結婚記念日』など大したことではないのかも知れない。
お互い、あまり言葉を交わすこともなく、静かに暮らしている方が幸せなのかも知れない。どちらかが病気で毎日看病や病院通いなどナイほうがいいに決まっている。
今年は何とか、無事に過ぎそうである。くる年 2018年は、果たしてどんな年になるのだろう。
この年末年始は、孫二人に囲まれた賑やかなものになることは間違いない。
それは、今週20日から始まるのである。