★昨日の夕方、田崎さんからこんな写真が送られてきた。
83・9・28 日とある。
こんなコメントが付されていたので、 早速調べてみた。
1983年9月28日の写真です。
これは何のパーティでしたかね? 1983年の手帳は、米国法務局に取り上げられて手元にありませんので、判ったらおしえて下さい。
酒井さん、安藤さん、北村さん、古谷さん高橋さん、大庭さん、と私、 後二人が分りませんが、一時帰国の私の歓迎会ですかね?
1983年というと大庭さんが単車事業本部長として7月に明石に来られた年である。
これは、大庭さんが 田崎KMC社長・佐伯リンカーン社長・坂口カナダ社長の北米3社長を明石に呼んでの状況報告を求めたので、その3社長の歓迎会を神戸の山手寮でやった時の写真なのである。
兎に角、田崎さんはいろいろと写真をお持ちである。
この頃の職位の順位で言うと、
大庭本部長・高橋企画室長・酒井工場長・安藤技術本部長・古谷企画部長・田崎KMC社長・北村営業部長・佐伯リンカーン社長・坂口カナダ社長の順位で、
大庭さんが常務、高橋・酒井さんが理事、安藤・古谷・田崎・北村が部長、佐伯・坂口が課長 という時代なのである。
大庭さんも、この年の7月に単車に来られたばかりで、結構オモシロかったのは、大庭さんは川重の受注部門におられたので、納入先はお得意さんで、そういう意味ではKMCも、リンカーンも、CKMも明石工場から見ると『お得意さん』なので、田崎さんや、佐伯・坂口さんなども『お得意さん』と見ていた節があって、そういう意味での『お得意さん招待』の会席だったのだと思う。
この時は9月だから、少しはお分かりになった時期かと思うが、8月に最初にアメリカの現地を訪問された時は、非常に丁寧で、田崎さんはちょっとびっくりしたと言っていた。
佐伯さんなども何百人も従業員のいるリンカーン工場の社長さんなので、扱いがめちゃ丁寧だったようだが、帰国されて『佐伯社長はKHIでは課長ですよ』と言ったら『ア、課長か』と言われたのが、印象に残っている。
これは、その翌月のことだから、田崎さんが部長、佐伯・坂口さんは課長だという認識はおありだったと思うのだが・・・
それにしても、この9人の中から川崎重工業の社長が二人、副社長が二人生まれているのだが、このころはまだ単車が再建できるかどうかも解らなかった『単車事業部再建』時代で、この日の翌日は上京して山田副社長・松本専務への『単車事業部報告』がなされているのである。
私は企画部長として、アメリカと本社上層部を繋いでいた 『懐かしい時代』なのである。
なかなか大変ではあったが、単車が一番活気のあった時期だと思う。
当たり前だが、皆さんお若いが、私もちょうど50才の頃である。