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神戸大空襲 と 島田晴夫さん

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★ ついこの前、クリスマスイブの日に、『緑が丘駅前で~おかしを もらっちゃおう』というイベントを主宰されて、その時初めてお会いした 島田晴夫さん、私と同じ83才、その時お会いした印象が強く残っていて、昨日の朝、殿界さんの事務所で3時間ほど雑談したのである。

『地域に貢献したい』と仰る島田さん、私などにはない『何かを』持っておられるように思って、今後一緒にやりませんか?というような雑談をしていたのである。

 

     

 

 

 最近は、私から見ると『若い方』ばかりとのお付き合いが殆どで、話の内容もそれなりに新しいのだが、昨日もFacebook をお勧めしたら、すぐ登録されて今はもう友達として繋がっているのである。

 そんな話が主だったのだが、私が一番印象に残ったのは戦後の旧制中学当時の話もさることながら、

 

  

 

 

 『神戸空襲を記録する会々員  語り部 被爆体験と昭和史 (その時銃後も戦場だった)』 と書かれていた名刺の肩書なのである。

島田さんがふと漏らされた『広島の原発ばかりが言われるが・・・』という言葉が気になって、戻って『神戸大空襲』を検索してみたのである。

 

   

 

    

 こんな写真と以下のような記述があった。

 

 神戸とその周辺地域は1945年(昭和20年)1月3日から終戦までの約8ヶ月間に大小合わせて128回の空襲を受け、特に3月17日および6月5日の市街地絨毯爆撃と川西航空機甲南工場を標的とした5月11日の戦略爆撃によって大きな被害を受けた。被害状況に関する公式記録は存在せず、具体的な数字ははっきりしていないが被害面積は神戸周辺都市部の21%に及び、少なくとも8841名の市民が犠牲となり15万人といわれる負傷者、焼失家屋15万戸、のべ65万人もの人々が家屋に被害を受けたといわれている。これは、人口および面積から換算した被害率としては当時の五大都市の中でも最悪の数字であった。

 

 ★私は全くの同世代なのだが、戦時中は朝鮮にいて全く『空襲』など経験がないのである。

この記述にあるように、神戸空襲は川西航空機甲南工場が標的だったようだが、明石は川崎航空機明石工場がその標的で叔父叔母がなくなったし、家が焼けたりはしたのだが、そんな話を聞かされただけで、経験は全くないのである。

島田さんとは、今後多分お付き合いが続くだろうから、一度機会を見て、島田さんの『お話』もぜひ聞いてみたいなと思っているのである。

 

 私は空襲の話は、伯父・伯母以外からは聞いたことがない。 その伯父・伯母の話も凄まじかったが、『語り部』として、どのような『昭和史』が語られるのであろうか?

私自身も、『引き揚げ』という大変な経験は持っているのだが、これは大変は大変だったが、『死の恐怖と直面』などはしていないのである。

そんな戦中・戦後を語れる方も、段々と少なくなっている。

島田さんにお会いしていなかったら、『神戸大空襲』など絶対に検索することはなかったのである。

 この歳末、『いい方と出会えた』とお互い思っている昭和8年生まれ なのである。

 来年は、二人とも『年男』ぜひ『いい年』になるように精一杯頑張ってみたいのである。

 

  

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