私の生き方、発想の原点
神戸ベンチャー研究会で、スピーカーを務めることになりました。
お話するテーマを『仕組みと情報発信と差別化』と気軽に申し上げたのですが、この会の主宰者である関西国際大学の松本茂樹先生が、先生のご判断で、その後ろに『学』と付けられたので俄然困ってしまっているのです。
錚々たる大学の先生などがおられる席で『学』を述べるのは厚かまし過ぎます。仕方がないので『私独特の雑学』レベルで、私の人生の経験の中で学んできた『私の生き方、発想の原点』などを率直に述べてみたいと思っているのです。
そんなことで上記のような項目を並べてみましたが、与えられた時間は15分なので、とても全部の項目を詳しくお話をすることは出来ません。ただ項目だけでも並べておけば、何となく、言おうとしていることだけはお分かり頂けるのではと思っているのです。
どんな場合でも、話とは常に話し相手がいるのですから、その場の雰囲気や状況が解った上で、原稿なしでぶっつけ本番のお話をすることにしているのです。
ご関心のある方は、事後でも事前でも、このブログの文章をお読み頂ければ『私の生き方、発想の原点』みたいなものをご理解頂ける一助になると思って、少々長くなるかも解りませんが、私の想いを纏めてみたいと思います。
それは、私の人生の生き方そのものでもあるのです。そして82才の今も尚、同じ生き方をしている積りなのです。
二輪事業は 世界展開の総合的な仕組み
私は1957年(昭和32年)に川崎航空機に入社し、1960年の二輪事業のスタートの時点から約40年間、二輪事業一筋に従事しました。二輪事業はカワサキにとっても初体験の新事業であったため、教えてくれる先輩などは皆無で、当時この分野を担当した若い人たちは、開発、生産、販売の各分野で現場における自らの体験から学んで身に付けていったのです。
二輪車は生活必需品ではなくて、極めて趣味趣向性の高い商品なのです。冷蔵庫やテレビなどと違って公道を走りますし、レースやツーリングなど遊びやスポーツの要素も高いのです。
その販売方法は、セールスが売り歩いた4輪車などとは違って、世界中どの国でも『販売店=オートバイ屋』を通じて販売するネットワーク販売なのです。そして、そのネットワークの仕組みの質が直接販売に影響を与えます。
商品の開発―生産ー販売の各分野の仕組みに加えて、末端のユーザーを巻き込んだ遊びやスポーツさらにはレース、その舞台となるサーキット運営や、ユーザーの安全運転活動など、世界を舞台に壮大なトータルシステム、『仕組みの創造』が事業展開の大きな要素になるのです。
この二輪業界の先頭を走ったのはホンダで、それを引っ張った本田宗一郎さんの基本理念が二輪業界に大きな影響を与えています。
50ccのモペットを大量生産大量販売すべく創られた仕組みが5万店の自転車屋をネットワークした日本独特の委託販売制度です。技術力も資金力もない自転車屋でしたが、そんな委託販売制度でモペット100万台の販売が達成できたのです。そんなモペットが販売の中心の時代に世界GPに挑み、あの鈴鹿サーキットを創り上げています。
二輪ユーザーを満足させる壮大な仕組みをモペット全盛期に創り上げたのが本田宗一郎さんです。海外市場進出には、商社に頼る輸出ではなく自らが販売会社を設立して自ら販売する仕組みを創ったのは二輪が先駆者だと言ってもいいと思います。
当時の川崎航空機のメンバーは、エンジンは専門家でしたが、二輪車も販売も全く経験のない素人ばかりでしたが、こんな壮大な世界戦略のムツカシイ分野に若い人たちが飛び込んで挑戦したのです。さらに50ccを持たないカワサキ独自の仕組みの創造で対抗したといってもいいと思います。
それが国内市場では自転車屋ではない二輪専門店をネットワークした『特約店制度』であり、アメリカでは二輪に詳しいアメリカ人を重用した『現地主義』だったと言えるのでしょう。
目標はブランドイメージの高質化
このような特徴のある二輪事業において、ヒット商品とは、セールスの努力で生まれるようなものではなくて、末端の二輪ファンたちが競って選んでくれる商品だけが『ヒット商品』となり得るのです。一端ヒットすると『放っていてもどんどん売れる』のですが、必ず競合メーカーが、さらに『いいもの』を世に出すと、突然売れなくなったりする厳しい競争の世界なのです。
そこには、商品の優劣だけではなくて、メーカーに対する『ファン心理』が強烈に存在する商品ですから、二輪事業は『ブランドイメージの確立』こそが最終の目標になるのです。
そして『イメージ』は、他人の評価ですから、確りとした経営理念に基づいた継続した情報発信がない限り、それは実現しないのです。
一般に、継続した情報発信のない企業やグループは、『イメージ総量』が小さいし、もっと極端に言えば『イメージがない』のです。世の中では『イメージ』がなくても価格で売れたりする商品も存在はするのですが、『二輪車』はそんな本来のマーケッテングの分野が非常に大事な事業なのです。
かって日本の二輪業界は150社を超えるメーカーが乱立したのですが、厳しい競争に敗れてホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキの4社に絞られたのです。
150社の中には三菱重工業、富士重工業、東発、ブリジストンなどの大企業もいたのですが、そのメーカー体質では、ホンダ、スズキ、ヤマハのマーケット戦略や、談合体質など微塵もない厳しい競争に追随できなかった歴史なのです。
その中で、なぜカワサキだけが残ったのか?
私個人の見解ですが、
それは、国内では川崎航空機の人ではなくて、メイハツ、メグロの人たちが販売分野を主として担当してくれたこと、『中大型スポーツ車』中心の差別化戦略を取ったこと、アメリカ市場を引っ張った浜脇洋二さんの強烈なリーダーシップで『販売会社、R&D, 工場』という他社に先駆けた総合的な仕組みの展開があったからだと言えるのでしょう。
アメリカ市場に本格的な工場進出したのは、カワサキが最初で、それに続いたのがホンダです。トヨタなど4輪はずっとあとの時代のことなのです。そういう意味ではカワサキは、自動車工業会のアメリカへの工場進出の先駆者とも言えるのです。浜脇洋二さんはそんな功績を認められて、二輪業界からは本田宗一郎、鈴木修さんなどが名を連ねている『日本自動車殿堂入り』を2014年に果たされたのです。
私自身も広告宣伝やファクトリーレース、販売第1線のマーケッテング分野を担当はしましたがまだ20代の若さでしたし、浜脇さんですら30代前半の新任課長時代だったのです。当時の川崎航空機の二輪担当のメンバーはみんな若い連中ばかりでした。
当時私が事務局を担当したレース運営委員会は、後の川崎重工業の経営を支えた、田崎雅元社長(1年後輩)山田熙明、高橋鐵郎副社長、Z1開発責任者であり、ガスタービン事業の推進者の大槻幸雄常務などのメンバーが出たのも、当時の経験が大いに寄与しているのだと思います。
目指した理念から
カワサキの二輪事業展開の理念は、1975年、アメリカで英語で創られました。
それが Kawasaki . Let the good times roll ! なのです。
正規の日本語訳は無いのですが、
『Kawsaki に出会う人たちがハッピーになるような活動をカワサキは展開し続けます』というような意味なのです。
このコンセプトはその後消え失せていたのですが、1990年代前半、私が国内を担当をしていたときに国内市場で復活し、当時の高橋鐡郎事業本部長がカワサキの二輪事業のコンセプトとして全世界に展開されたのです。
CSとは 顧客の満足
カワサキ時代の基本的な考え方の中で特徴的なのが『CS 顧客満足』があります。
日本での『CSのC』は Customer が一般的で各企業は何の疑いもなく Customer Satisfaction と言っています。Customer は間違いなく顧客なのですが、その顧客は『取引先』であって、末端ユーザーを指しているものではありません。
1990年代カワサキの販社にも『CS推進部』という組織がありましたが、そのCは明確に末端のユーザーを意識したConsumer Satisfaction だったのです。
勿論、Costomer に当たる顧客は取引先である販売店なのですが、あくまでもConsumer=二輪ユーザーたちの満足を目標に施策を展開してきましたし、販売店はその目標を一緒に推進する仲間であるという位置づけを明確に持っての事業展開だったのです。
1990年代に私が国内市場担当時代に創ったカワサキのユザークラブKAZEは、現在も4メーカーの中で唯一継続されてます。カワサキ独特のCSの理念に基づいた確りとした仕組みの上に展開されたもので、最盛期の55000人の会員数はホンダさんの実質5倍というものでした。
広報活動
私自身が現役時代取り組んだ仕事は『仕組みの構築』と『ブランドイメージの創造』そしてもう一つの分野が『広報活動』であったと思っています。
『広報』は読んで字のごとく広く報ずる、チラシを撒いたりする広告宣伝などの一方通行の活動と錯覚されているのが一般的です。広報部門の方でさえ『広報』を正確に理解されていないのが日本の現実なのです。
『広報』とは戦後アメリカから日本にやってきた概念ですから、当然英語なのですが、広報は英語で何ですか?と質問してもすんなりと答えられる方は少ないのが現実です。
広報=PR です。それはPubulic Relations なのですが、それを何故か広報と訳したばっかりに、みんな解ったような気になっているのです。
Pubulic Relations 私なりに『社会におけるいい人間関係創り』だと思っています。その手段としてチラシを撒くこともあるのですが、関係創りですから一方通行ではダメで、それは双方向の情報発信であることがMUST なのです。
二輪事業においても販売店や、二輪ユーザーとの『いい人間関係創り』を創り上げるために上述のKAZEと言うユーザークラブを創って、5万人に対しての広報活動を展開してきました。それを専門的に扱う『遊びのソフト会社』株ケイ・スポーツ・システムを創っての本格的な対応だったのです。
当時、株ケイ・スポーツ・システムの活動は、川崎重工業という固い会社での活動だったので注目されて日経ビジネスなどにも取り上げられたりしたのです。当時、国内グループ7社は、自然に売れるトータルシステムを目指し、販売よりもその周辺分野の機能の高質化を目指しましたし、販売台数でも7万台の目標を達成し、ホンダさんに、『1強3弱』と言って頂いたそんな時代だったのです。その当時のメイン車種は『西からの風』という意味のZEPHYRの時代ですし、ジェットスキーも7000台を記録した最高の時代でした。
以上のようなカワサキ時代の経験や、そこで得たソフトノウハウを基盤に、もっと端的に云えば、株ケイ、スポーツ・システムを現代のネット時代に合うようにより進化させて、NPO The Good Times の総合的な仕組みは創られ展開されているのです。
NPO The Good Times
NPO 法人 The Good Times を2010年にかってのカワサキのメンバーと三木の人たちとで立ち上げました。カワサキの二輪事業のソフトノウハウと同時に、ネーミングも、活動の基本理念も受け継いで設立しているのです。
その本体であるNPO法人 The Good Times はまさに『仕組みシステムそのもの』であり、ネットをベースにした情報発信を軸に、末端の個人会員、団体会員をダイレクトに繋いだ世界展開のトータルシステムです。その仕組みそのものは、約5年で完成しました。
ブログ、ツイッター、Facebook、などを横に繋いで個人会員は世界に1万人のレベルに、公式ツイッターのフォロワーは50万人を越えました。その情報発信力は量的には地方紙と肩を並べるレベルです。
ネットベースの展開ですから、幾ら大きく展開しても一切費用は発生しません。そんな形が完成してNPO法人本体の通常経費0円の目標が達成し、世界で唯一の『経費0円』の差別化された法人が実現しています。
NPO The Good Times 本体は、仕組みの構築、広報支援活動が主体で本体自体は何もしません。Facebook やツイッターと基本的に同じなのです。それを使われる方が上手に使うと上手く機能するのです。
NPO The Good Times の活動は、一言で云えば『広報活動=社会におけるいい人間関係創り』なのです。その基本コンセプトは『異種、異質、異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』です。
活動のベースは、このコンセプトに共感された団体会員さんが集められた1万人の個人会員(入会金1000円)がベースです。1万人の入会金は1000万円にもなるのですが、本体のNPO法人は、ネットベースで経費0円の法人ですから、この入会金を規定に従って、会員を集めて頂いた団体会員さんにその活動資金として支援しているのです。
その支援率の規定は、最低10人に対して30%から始まって、1000人は60%、2000人は70%5000人は80%となっています。(詳細はホームページに記載)
目指す目標は設立以来『新しい公共』なのです。
行政の補助金などは一切当てにしない、むしろ共感して参加される団体会員さんに行政の補助金のような活動資金を支援する仕組み、それを『新しい公共』と言っています。
ネットベースですから当然世界展開、神戸もカリフォルニアも同じ隣町なのです。
このように本体のNPO The Good Times の仕組みは完成したので、2年前からは、より現場に近いところでの次の段階の仕組みの構築段階に入っているのです。
現実に展開しているのが次の3グループです。
●二輪関連を総括している World Good Riders Association (WGRA)
● アメリカで日本のお風呂の文化などの普及を目指す Ui (お湯を愛する、You & i、友愛)
● 地域活性化プロジェクト 燦々SunSun (太陽のように光り輝く活動を)
燦々SunSun は、昨年1月にスタートしたばかりです。その中核で活動されているのが世話人の殿界寿子さんですが、世話人代表を松本茂樹先生にお願いしているのです。
そんな関係もあって、燦々SunSun のメンバーたちと神戸ベンチャー研究会は繋がっていて、『みき軍団』と言われるほど毎月の例会には出席をしているのです。
『異種、異質、異地域の方の繋がりのネットワーク』という意味では全く同じコンセプトなのです。
そんなこともあって、今年からは松本茂樹先生と殿界寿子さん、それに『緑が丘日曜マルシェ』や『水曜マルシェ』の実行委員長の向山信吾くんには、昨年末に、本体のNPO The Good Times の理事にも就任して頂いたので、神戸ベンチャー研究会との関係もより密接になるものと期待しています。
そんな意味も含めての
神戸ベンチャー研究会への提言 は、会場でもし時間が許せば申し上げたいと思っているのですが、敢えてその項目を言うなら『情報発信力の強化』と『独自の仕組みの構築』だと思っているのです。
いろいろ書いてると20000字にもなってしまいましたました。果たして何人の方が最後まで読まれるかは解りませんが、全体を纏めることが出来て、私自身が大満足なのです。
まずこのような機会を与えて頂いた神戸ベンチャー研究会に感謝です。川崎重工業の二輪部門に感謝ですし、こんな仕組みの創造のきっかけを与えて頂いたホンダさん、本田宗一郎さんに感謝です。
そして、こんな私自身の体験から生まれた発想を見事に文章で纏めて与えて頂いた現役時代からお付き合いのある服部吉伸さんに感謝です。
付録としてその服部吉伸先生の語録を付しておきます。
『これからの流通業』服部吉伸著
もう20年も前の私の現役時代の本だが、その中の文章から拾った言葉の幾つかである。
表現が非常に的確で、今でも間違いなく通用すると思っている。
流通業とは「自分の仮説の正当性を問うビジネスである。」
消費者の変化の本質を掴み、変化をどう自己の対策に置き換えるかと言うことが問われている。
仕組みを造るのは、非常に高度な仕事である。仕組みを造らずに放たらかしの形にして、創意工夫してやりなさいというのは酷である。損なやり方である。
システムとは手続き通りに仕事を進めてゆけば、意図した目的が実現できる仕組みでなければならない。現在のシステムは単なるデーターのアウトプット体系に過ぎない。
システムによって組織が変わる。やがて販売最前線が力をつければ、現在の多段階の企業組織は短縮化ないしは簡素化される。極端に言えば二段階妥協しても三段階に簡素化すべきである。
何が企業を変革するのか。それは企業コンセプトである。
企業コンセプトを見直し再提起しなければ第二次創業とはならない。
従って企業コンセプトは方針戦略より上位の概念である。
カウンタービジネスは新業態を生む可能性が強い。売り場をなくすという発想を前提にすれば多くのことが変革されるはずである。無在庫経営、このことは無在庫経営ノウハウとシステムの裏づけが必要とされる。やがて小売店から売り場がなくなりカウンター化される時代が来ることを予言しておこう。
業革の特徴は「トップが身をのりだして」「組織をあげて」『社運をかけて」「思想価値観を統一して」「目的を明確にして」「方法論を確立し」「予算措置を講じ」「徹底して実行する」という常識と定石の徹底が「良識を生む」のである。
意識改革のできるのは、一部の極めて優秀な人に限られ指導者の能力の一つである。意識改革を行えと言うだけでは、マジョリテイに対する意識改革は出来ない。
マジョリテイに対する意識改革、それは仕事のやり方を変化させることである。
そして成功が意識改革の元である。
通用する発想とは正しく現状を捉え説得力があり、やがて多くの人の賛同を得られる考え方を指している。
ここでやがてという言葉を使っているのは、正しい考え方が最初から多数派である筈がないからである。
リストラの基本の部分に人の尊重という考え方がなければそこに働く人の心を動かし大きな改革を成し遂げることは出来ないと断言しておこう。
『世の中には原因のある問題と原因のない問題の二つがある。
原因のある問題は、原因の追究、把握、対策と言う思考ステップで課題を解決する。原因のある問題の解決に必要な能力は創造力と呼ばない。創造力の源泉はアイデアであり思考ステップの特徴は「絞り込んで考え続けるというところにある。』
流通業には常識のウソが多い。
これからの小売業、如何に組織が大きくても如何に図体が大きくても、お店を幾つもっても、すべからく専門店でなければならない。既に小売店の変化の方向は明確になっているのだ。
顧客の組織化にはデーターベースを活用した新しいマーケッテングを展開することが重要である。データーベースを構築するにあたってはどのようなマーケッテングを展開したいかねい核になっていないと前に進まない。自分のしたいことを明確にする必要がある。
人が自分の価値を発揮できる状態を造りださない限り、人はコストにしか見えないだろう。人はコストではなく」価値創造者である。
企業の文化が問われている。そしてどのような思想、考え方、価値観を持った企業なのかが問われている。「うちは慈善事業をやっているのではない』と言えば、そのような企業でしかないということだ。『利益に文化の香りがする』そんな企業になって貰いたい。
卸売業を営む一つの企業としてのリテールサポートが問われる時代になったのである。実に多くの卸売業が小売業に進出している。自分で小売業を営める能力を持つことがリテールサポートの原点である。
卸売業に物流とはシステムであるという認識が希薄である。物流問題は企業として解決すべきものであり、企業規模の大小ではなくトップの先見性と経営の熱意によってきまるのである。物流のシステム化の克服が多くの卸売業の将来を左右するだろう。
仕組みを造るのは、非常に高度な仕事である。仕組みを造らずに放たらかしの形にして、創意工夫してやりなさいというのは酷である。損なやり方である。システムとは手続き通りに仕事を進めてゆけば、意図した目的が実現できる仕組みでなければならない。
★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。