★世の中、どんどん変わるし、若い人たちを中心にいろんなものが流行する。
ネットの世界そのものが、やはり若い人たちが主流だろうし、どんどん新しいスタイルが普通になるのは、そんなに珍しいことではない。
私自身も、この数年来、パソコンを使うようになって、毎日のようにパソコンで文章を書いたり、メッセージのやり取りなども行ってはいるのだが、次にようなもののどれが顔文字で、どれが絵文字で、「メッセンジャスタンプ」なのかすら、今日の今日まで全く知らなかったのである。
そんな私だが、昨日のFacebook でこんなことをアップした。
★ Facebook での メッセンジャーの中では、当然文章が主体なのだろうが、盛り上がってくると出てくるのがスタンプで、スタンプが押される度に、音がする。
それが夜中でもひっきりなしに押されると迷惑である。という提起から、結構延々と議論されていて、一般論として上のような意見を申し上げたのである。
結構固い話題なのに、沢山の方が関心を持っていただいて最初にコメントを頂いた河田明彦さんからはこんなコメントを頂いたのである。
わたしもスタンプはともかく、絵文字は意味も分からないし、使う考えもありません。文字だけだと相手の顔が見えないのと、細かいニュアンスが伝わりにくいので、それを正しく伝える・意図を補完する意味で生まれ、使われてきているようですが、これが今後日本語の表現を豊かにするのか、飽きられて廃れていくのかは今のところわかりません。漢字からかなが生みだされ、それが今日の日本語の表現となっているように、絵文字が、たとえば小説・詩・随筆などの文芸作品などに使われるようになるのか。私個人としては、あまりそのようになってほしくありません。行間を読んだり、想像したりする「余白の美しさ」が殺されてしまうような気がするからです。
同感なのである。
日本語の美しさ、その文字の良さなどなど、これは時代の流行などを越えて次世代に伝えていく義務のようなものを感じている。
絵文字Wikipedia と検索したら、こんな説明が現れた。
絵文字は言語などを持たないが、絵に意味がある記号のことである。現代社会で、道路標識などで何らかの情報や注意を示すために表示される視覚記号のことはピクトグラムという。
日本は、古くより絵文字を文字の代用として利用する文化があった。江戸時代には文字の読めない人むけに判じ絵という絵文字が使用された。近年では、日本語をはじめとして、言葉では表現できない部分に絵文字を表現する絵文字文化が定着した。
文字で読めば、なかなかまともな文章ではあるが、冒頭に例示した、写真と従来の日本文化の骨格を担っている、文字とはどう考えても同じスタイルではないと思う。
いまのスタイルはやはり若者の遊び感覚がメインで、それがネットのシステムと連動して、夜中までひっきりなしに使われると、それは「迷惑」と感じる人がいるのは当然で、
その辺は 何事も「ほどほどに・・・」がいいのだろう と申し上げているのである。