★昨日は「庭仕事について」書いた。
ツイッターにはこんな風に呟いた。
植物などに庭仕事では、いろんなものを「育てている」。
これは間違いなく、私が育てているのである。
自分の人生で、 「人を育てたことがあるだろうか?」
自分の子供たちですら、残念ながら男の私は、「私が育てた」と言い切れない自分を今更ながら発見する。
家内は、多分自信をもって「私が育てた」 と言い切るだろう。
★自分の結構長い人生で、「私が育てた」と言い切れる人がいないのは間違いないのだが、
「育つお手伝いをした」ということは、これは逆に自信を持って、胸を張って云うことができるし、具体的に固有名詞を挙げてみろと言われたら、10指ぐらいは簡単に上げれるのである。
別に教育者でもないし、「人を育てる」ことを目標にして生きてきたわけでもないのだから、それはそれでいいのだが、「育つ環境や仕組み」を創ったり、いろんな人が育つように仕向けたお手伝いばかりをやって80年間生きてきたような気がする。
別に、そんなことを意識してやったわけでもないのだが結果はそんなことになっている。
「育つ」ということは、植物などの場合は具体的に明確なのだが、そもそも「人が育つ」ということはどんなことを云うのだろうか?
小さな子供の背が伸びて立派な大人になる、 ここまではよく解る。
大きくなってからさらにどのようになれば「成長した」と云えるのであろうか?
つい先ほど「成長したお手伝いをした人は10指を超える」と偉そうに云ったが、それは世間一般的に
●経済的に確りとした立派になった とか
●社会的に立派な地位に就いた などを指していて、それが「人の成長か?」などと云われると、これはこれで困ってしまうのである。
★でも、それが「成長」だとすれば
私が特に親しく付き合ってきた、二輪のお店など、そのオーナーの方などは、40年前の状況を見るなら間違いなく立派になっているのである。
勿論、私が育てたなどとは言えないが、いろんな仕組みでその人たちを応援したことは間違いなく事実なのである。
40年前、日本のバイク屋など少なくとも大きな立派な店などなかったと云っていい。
「育てるためには、育てる目標を明確に決めて、育てないものは切る」 と昨日庭仕事の中で書いている。
40数年前、500店もあった取引先の中から、25店を選んで残りはみんな切ってしまった。そんなドラスチックな方策は、あまりにも弱小すぎる日本の販売店が、このままでは全部育たない と思ったからである。
その時選んだ一番の要素は、その時の店の大きさなどではなく「人」だった。
やると手を挙げた人は、その時オートバイ屋でなくても、その人に託したのである。
そんなことで、カワサキは、従業員をやめてバイク屋に転身した人たちはいっぱいなのである。
そんな、お手伝いはできたかな?と思っている。
★もう一つ、社会的な地位、特に会社における職位、 会社の社長になったり、重役さんになったりすることが、仮に育ったとするならば、私の周囲にいた人たちは、上も下も、みんな立派な職位に付かれている。
これは勿論、ご本人の努力と資質の賜物だと思うが、その足を引っ張るのとそれを押し上げるのとでは、全然違ってくるはずである。
私自身も、お蔭様で社会的にはそこそこのところまでにはなったが、どちらかと云えば自分自身のことよりも、周囲の人たちが育つ環境を提供したほうが結果的に多かったように思うのである。
昨夜はたまたまだが、社会的には間違いなく立派に育たれた、昔の仲間とのOB会だった。
今の職位に関係なく30年前の昔の仲間に戻っての、当時と同じような会話ができたのがいい。
今の職位に関係なく、それを当たり前のように受け入れてくれる後輩たちは、やはり「ちゃんと育ったな」と思った。
そんな「いい時間」が流れたのである。
「人の不幸を喜ぶものは自らの無力を恥じよ」
あまりお聞きになったことはないと思うが、緒方竹虎の言葉である。中学生の時それを聞いて、このように生きようと思った。
Kawasaki . Let the good times roll !
Kawasaki に出会う人たちがグッドタイムであるようにカワサキは活動し続けます!
1970年代にアメリカで創られたこの基本コンセプトに出会った。これは素晴らしいと思っていたのに3年ほどで消え失せてしまった。
1990年代、私が国内の責任者をしていた時に復活し、当時の高橋鉄郎本部長がカワサキの世界のコンセプトにされたのである。
Kawasakiの代わりに、Furuyaと入れて、私に出会う人たちがグッドタイムになるようなそんな活動を今でも続けている積りである。
★人を育てるなどおこがましいことはできないが、「人が育つ」その手伝いは間違いなくできる。
私は、「バカみたいな性善説」である。
どんな人でも、きっと良くなると信じて疑わないのである。
信じてあげたら、間違いなく人はそれに報いるものだと思っている。
NPO The Good Times も、そんなコンセプトを受け継いで、「人を育てる」お手伝いをしている積りである。
その事務局長をしてくれているカバン屋さんが、彼の主宰するKAWASAKI Z1 FAN CLUB の No.0029 番を私のために用意してくれた。
「なぜ?」と聞いたら 「福の神」の福=29 と云って頂いて大いに気を良くしているのである。