★ 8月に出されるという「安倍談話」に「侵略」という言葉が要るのか?
という質問に対して、70%に近い人が「入れなくていい」と答えている。
あの戦争が、「侵略戦争」であったのか なかったか?
これについても、意見は分かれるのだろうが、現在の安倍さんの見解は、歴代首相と同様、あの戦争は「侵略戦争」であったことは認めるが、歴代総理の見解を引き継ぐ、と云っているので、敢えて今回の談話に「侵略」という言葉を入れる必要はない、というのが表面上の認識になっているのだろう。
戦争に、「侵略はつきもの」である。
安倍さんが言うように、一体「侵略の定義」はどういうことなのだろうか?
ちょうど戦時中、私は小学生、終戦の年は中学1年、たまたま朝鮮京城(今のソウル)にいたので、空襲もなかったし、戦時中という認識はあまりなくて、普通の豊かで平和な生活を送っていた。
一時は圧倒的に東南アジア、今のインドネシアあたりまで、攻め込んでいたし、中国大陸でも奥地の重慶へ向かって攻め込んでいた。他国に侵入することが侵略なら、これは間違いなく侵略状況であった。満州は中国でなくて満州だったし、朝鮮は日本であった。
東南アジア各国はほとんどすべて欧米各国の植民地であったそんな時代だったのである。
★間違いなく中国や、東南アジアは戦場にはなったが、中国はともかく、東南アジアではその国と戦ったのではなく、戦った相手は欧米だったのである。
戦場が東南アジア諸国になっていただけで、占領したのは昭南島と称したシンガポールぐらいだったのでは・・・
朝鮮は、当時は日本だったので、これは侵略とは全く違うのではと思う。
侵略戦争であれ、正義の戦争であれ、戦争はダメだと思う。
あの戦争で伯父(母の兄)と父の妹とその夫(叔父、叔母」)を亡くしたし、母方の岡山の家も、生まれ故郷の明石の家もすべて戦災で失った。朝鮮からは家族が一人1000円だけを持ち帰ることが許されて、家は勿論財産すべてを置いて引き揚げてきたのである。
終戦からもう70年経った今、そんな昔の戦争が侵略かどうかなどではなくて、もっと未来に向かってのことを語るべきだと思う。あの戦争を終わらした、広島、長崎への原爆投下は、これは何だったのだろう?
慰安婦問題など、いろいろあるが、もういい加減にしてほしいというのが、70%の声になっているのではなかろうか?
アメリカ議会での安倍さんのスピーチも賛否両論あるらしいが、人の意見はいろいろある。
8月に出す「安倍談話」は、ぜひ未来志向の堂々たるものであってほしい。
私も「侵略」の言葉など要らないと思う。