★安倍さんがアメリカ議会で演説された。
その全文に一応目を通した。スピーチは英語でなされたようだが、もちろん読んだのは日本文のほうである。
この安倍さんのスピーチに対する、朝日新聞と読売新聞の記事である。
こちらが朝日新聞の記事。
こちらが産経の記事である。
同じスピーチなのに、なぜこうも違うのか?
全文を読んでの感想を言うなら、朝日新聞の云ってるようなことには、安倍さんはほとんど触れていないし、少なくともスピーチの中ではそんなことは何も言っていないのである。
そう思ったので、もう一度読み返してみた。
はじめに
アメリカと私
アメリカ民主主義と日本
第2次大戦メモリアル
かっての敵今日の友
アメリカと戦後日本
TPP
強い日本への改革あるのみ
戦後の平和と日本の選択
地域における同盟のミッション
日本が掲げる新しい旗
未来への希望
表題だけ拾うと以上のような内容で、朝日新聞の記事にあるようなことはほとんどないのである。
なぜ、客観的な記事にこのようなことを書くのだろうか? 社説で意見を言うならそれも解る。
記事は、あくまで客観的なものでありたい。
★このスピーチで私の受けた印象というか感想は、これはまた全然違った側面なのだが、
「住めば都」という言葉がある。 人生で住んだところ、留まったところはなんとなく懐かしく好きになるものである。
私もソウルー明石ー仙台ー高槻ー三木ー札幌ー三木と住んだ。
幾らかでも滞在したという感覚のところは、タイーオーストラリアーアメリカーある意味東京。
訪れたところは世界各国沢山あるが、ヨーロッパなどは滞在したという感覚はない。
住んだところはすべて「好き」である。 滞在したと感じるところには「好感」を持っている。明らかに訪問だけのところとはちょっと違う。
安倍さんのスピーチを読んで、安倍さんは「アメリカ好きなんだな」と思った。
安倍さんのなんでも結構思ったことを率直にいうのは、ある意味アメリカナイズされてるのだと思ったりした。
私自身も、そんなに長くアメリカに滞在したりはしていないのだが、カワサキの二輪市場の主力がアメリカだっただけに、よく接触したし、アメリカに滞在した人ともよく付き合ったし、今は娘の家族がアメリカにいたりして、アメリカは好きな国の一つなのである。
特に、自分の思うことを率直にいうそんなところがいいと思っている。
★そんなアメリカが好きな安倍さんも、一国の総理としてスピーチするときは、それなりの配慮があって当然である。
然し、「痛切な反省」とは言っているが、「侵略」という言葉も「慰安婦」などという言葉もどこにも見られない。
これが、「いい」「悪い」の問題ではなくて、あくまでも安倍さんのアメリカ的な発想を見たような気がする。
ベースには「アメリカ好き」 という態度が満ち溢れたスピーチになっていて、アメリカにいたことがない人にはできないスピーチだと思った。