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Kawasaki と 鈴鹿サーキット

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★2日間、 KAWASAKI Z1 FAN CLUB が 『モリワキ祭』 に参加のため、20年ぶりに、鈴鹿サーキットに行くことになっている。

カワサキが明石工場で二輪車の一貫生産を始めたのが1961年(昭和36年)で、私は その年に単車営業に異動し、その後カワサキの二輪の歴史とともに歩んで、

81歳になった今も、熱烈なカワサキファンと共に過ごせる1日が持てることは本当に幸せなことだと思っている。

 

鈴鹿サーキットが 若し、1962年に開場していなかったら、果たして今のカワサキがあったかどうか?  

今のカワサキを創り、育ててくれたのは、私は間違いなく『鈴鹿サーキットだ』と思っている。

 

昨年は、その鈴鹿サーキット開場50周年だった。

1962年11月に、 第1回日本選手権ロードレース大会が開催されたのは、カワサキが二輪事業の一貫生産をスタートさせたその翌年のことである。

 

 

 

 そして、このレースの250cc、350cc の優勝者は、ホンダではなくてヤマハの三橋実、片山義美だったのである。

それは、このように詳しくレースの内容が記述されていて

 

  

 

 

 

★この鈴鹿の第1回日本選手権ロードレースを、カワサキの生産工場の人たちが、バスを仕立てて観戦したのである。

この観戦によってカワサ社内のレース熱は一気に盛り上がり、当時の生産技術課長の中村治道さんや、生産係長の高橋鐵郎さん(元川崎重工副社長)たちが先頭に立って翌年5月の青野ケ原モトクロスへの参戦へと繋がり、それが1~6位までの完全優勝の結果をもたらしたのである。

このレースの結果によって、当時撤退も考えられていた二輪事業の再建も決まったりしたので、

 『カワサキの二輪事業の推進』を決めたのは、『鈴鹿の第1回日本選手権ロードレース』だったのである。

 

そして鈴鹿で250cc優勝を飾った三橋実が関東に『カワサキコンバット』を安良岡健とともに創設し、

一方関西では350cc優勝者の片山義美が主宰する名門神戸木の実クラブから歳森康師、山本隆と契約してスタートするなど、

第1回の鈴鹿ロードレースの優勝者の二人によって進められたのも、何かのご縁であった。

 

カワサキの創成期のレース活動は、『レース委員会』によってその方針が決定されていて、そのメンバーは文字通り事業の中枢を担った人たちだったのである。

委員長は山田照煕(元川重副社長)が務め、メンバーには、高橋鐵郎(元川重副社長)、大槻幸雄(Z1開発責任者)、安藤佶郎(F21M開発責任者)などが名を連ね、その事務局を私、それを手伝ってくれたのが田崎雅元(元川重社長)と言うようなメンバーで、後の川崎重工をも背負ったメンバーだった。

 

 

★1965年5月3日に行われた鈴鹿ジュニアロードレースには、山本隆が、カワサキで初めて鈴鹿を走り、3位に入賞する快挙で、、翌月に行われたアマチュア6H耐久レースには3台のエントリーを決め、カワサキは一気にロードレースへ進出したのである。

そのレース監督を務めたのが大槻幸雄、助監督が田崎雅元さんで、この時カワサキに初めてレース監督が誕生したのである。

そして、山本隆が1ヶ月前のジュニアロードレースに出場したために、神戸木の実の歳森康師の相手がいなくて急遽連れてきたのが、金谷秀夫なので、このレースが世界の金谷のデヴュー戦となった。

 

     

 これは昨年の鈴鹿50周年記念で、山本隆が貰った通行証で、そこには『カワサキで初めて鈴鹿を走った男』と書かれている。

 

 

大槻幸雄さんが経験されたレースの世界での、優勝したときの喜びと、敗れた時の悔しさの経験があって、初めてあの世界に冠たるカワサキZ1の開発に繋がったのではないかと思うのである。

カワサキの二輪事業に懸ける基本的な姿勢は、レースの世界の競争から学んだものであることは間違いない。

そんなカワサキイメージの創造を応援してくれたのは、『鈴鹿サーキット』であったのではなかろうか?

 

 

★私自身も鈴鹿サーキットとは、いろんなことで繋がっており、未だ鈴鹿が開業していない10月に看板の件で鈴鹿を訪ねており、カワサキで間違いなく鈴鹿を訪れた最初の人なのである。

カワサキが初めて鈴鹿を走った1965年には、MFJの運営委員も務めていて、その夏7月31日開催された『鈴鹿24時間耐久レース』にも現場で立ち会っているのである。

ずっと後の、90年代には、4耐、8耐、安全運転大会の3週間の夏を鈴鹿サーキットで過ごしていたし、1993年の8耐には、カワサキの長い歴史の中で、唯一鈴鹿8耐を制した瞬間をこの目で見ているのである。

その時のカワサキスポーツ推進部長が故岩崎茂樹で、彼のことをブログにアップしたことから、

KAWASAKI Z1 FAN CLUB の登山道夫さんとはそのコメントで繋がって今日がある、そんなご縁なのである。

 

 

明日は、熱烈なカワサキZ1ファンの集まりなのである。

そしてそれも 鈴鹿サーキットの中のコースのパドックの中のレストランでのディナ―だという。

その開幕のご挨拶をたのまれているのだが、

どうせぶっつけ本番の私流のご挨拶になるのだろうが、『ホントはこんなことが言いたかったのだ』と 

今夜、Facebook このまま アップしておくことにする。

 


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