★ 昨日は先日のかっての息子の部屋の片づけの続きをやる。
部屋の中いっぱいになっていたのだが、三木の清掃センターに車で2度も運んだので、大体は片づいてはいたのだが、埃はいっぱいだし机の中などすべてひっくり返して片づけた。
滅多にこのようなことはしないのだが、結構根気はあって、すべてが片づくまではやりとおしてしまうのである。
時間も、掛ったし疲れもしたが、机の引き出しの中から、こんな記念硬貨が出てきた。
1964年、昭和39年、TOKYO とあって、オリンピックマークもあるから、間違いなく『東京オリンピック記念硬貨』なのである。
裏を見ると、今はもう存在しない『幸福相互銀行』とある。
50年前の貴重なものなのだが、 一体今ならどれくらいの値打ちがあるのだろう。
『幸福相互銀行』は、母や妹が勤めていたから、そんな関係なのだろうが、なぜ息子の机の引き出しにあるのだろう?
50年前は、息子はやっと1歳の誕生日を迎えたばかりのころである。
おばあちゃん(私の母)が、あげたのだろうか?
このほかにも100円硬貨が2枚でてきて、1200円の駄ちんを頂いたようなものである。
★今日は10月10日である。
50年前の10月10日は、東京オリンピック開会式の当日なのである。
つい先日、『新幹線50周年』と言うことで、自分の記憶だけでブログをアップしたのだが、改めてその当時の日記をめくってみた。
人間の記憶はいい加減なものである。 大体はあってるが、行動はウソばかり書いているので、改めて訂正ブログと言うか、50年前の日記そのものを、ご紹介することにする。
『10月10日 土曜日 全日本モトクロスの予選第1日、富士を望み雄大な丘に囲まれた丸の山高原はスカイラインの終点近く全日本MXに相応しいスケールである。幾度見ても赤タンクがトップを切って走るのを見ると痛快である。待望の90ccも4人が通過、125ccも全員が通って第1日を終わる。
オリンピックの開会式があったはずだ。これは本当に大イベントだが、今回は殆ど興味もなかった。それよりもモトクロスで優勝する方が先で、そんな感じの全日本である。
メカニックは11時半ごろまで、メンテナンスに務める。』
『10月11日 日曜日 素晴らしい天気になった。 まさに眺めは雄大である。 今度のモトクロスはいろんな課題があった。日本一周のシュライダ―の合宿参加、当課のヘリコプターが飛来し、開会式で花束贈呈し、会場をデモンストレーション飛行。代理店はバスを連ねて遠方より応援に駆け付け、山下副事業部長、苧野次長も応援に来られて、カワサキのレースに懸ける熱意を示した。
肝心のレースは90ccで三橋実が優勝、オープンは梅津次郎、そして日本選手権の125ccでは山本隆が荒井市次、久保和夫を抑えて優勝、4種目中3種目に優勝するという快心の勝利であった。
熱海へ出て、苧野次長と明星に乗る』
と書いてある。
『10月10日に優勝したと書いたり、帰りは新幹線に乗った』など、人間の記憶はいい加減なものである。
でも、そんな気がしたのである。
ついでに云うと、東京オリンピックは、10月24日が閉会式なのだが、
日記を見ても、オリンピック のことがが一切出てこない。 仕事のことばかりが並んでいる。
24日にやっと閉会式のことを書いている。
『オリンピックの閉会式を観る。この閉会式を観て胸の詰まる思いがした。スポーツはいいものだ。オリンピックはやはり大した規模を持った素晴らしいものだ。日本もうまくこの大役を果たした。日紡のバレーチームがソ連を破って金メダル、このフィルムを観て涙を止めることが出来なかった。・・・・』
この当時未だ、家にはテレビはない。 直ぐ近くの本家で観たのか、テレビのある喫茶店で観たのか。
そんなことも一切覚えていないのだが、テレビは今のように簡単に家で観れるものでもなかったのは間違いない。
家の片づけをしていたら、
オリンピック記念硬貨が出てきて、
50年前の日記を読みなおしてみた。
人間の記憶は『いい加減だ』と言うことがよくわかった。
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