★つい先日まで、私も20日間ほど娘婿宅に世話になってアメリカを楽しんでいたのだが、家内はそのまま残って10月末までは戻って来ない。
その間私は1人の生活が1ヶ月以上も続くのだが、それはそれで結構気楽でいいものである。
昨日は、2階のかっての息子と娘の部屋の片づけをした。 人が住まなくなるとどんどんモノが溜まって半ば物置みたいになってしまうのである。
それをちょっと片づけた。
ちょっとと言っても 車に片づけたものを満載して三木の清掃センターまで午前と午後の2回往復をした。
部屋はそこそこ綺麗にはなった。
昨年は家の裏手を片づけたりした。
家内がいないから出来るのである。
居る時にやると、それは要るとかいろいろとうるさいし、捨てたあとはそのままになって今は掃除をしていないから、多分それは気に入らないと思う。 そんなことから夫婦げんかになったりするのがオチである。
捨ててしまって、家内が戻ってくるまでに、散らかっている部屋を掃除しておけば、多分何を捨てたかも解らないはずである。
今は台所も私の領域だから、冷蔵庫の中も見違えるほど綺麗になっている。
綺麗になってるというのはちょっと語弊があって、中に入っているものが少なく最小限になってすっきりしているのである。
★私自身は結構、整理するのは好きである。
好きこそ物の上手なれとか云うが、整理は多分、結構上手い方だと思う。
『整理整頓』と一緒にして云われるが、整理は得意だけど整頓は苦手なのである。
『整理整頓』と一緒にして云うのが間違っていると思う。
間違いなく整理と整頓とは異質なものだと思っている。
『整理をする』と言うことは不要なものは捨てる ということらら始まらないと、実際には整理など出来ないのである。
私は『捨てる』ことは大の得意で、また好きなのである。
不要なものを持っていることが、どうも気にかかってしまうのである。
でも、大体世の中、一般に『捨てることが下手』なのである。
男性でも殆どが下手だが、女性は特に下手である。
うちの家内なども、何でも捨てずに持ちたがるのだが、『整頓』はなかなかのもので、『整頓やレイアウト』や、ものをどこに入れるのかなどは得意で、そんなモノ入れの場所のレイアウトや、モノを収納する道具や、さらには部屋を改造してモノ入れをいっぱい創っているので、結構、整頓 だけは出来ているのだが、
その整頓されている中味は、1年で殆ど使わない、身につけないものでいっぱい なのである。
私は家内がいるときは、家事は一切しない。台所など入ったこともないし、毎日着る服なども一切家内任せである。
まあ、子供みたいなものである。 大体女性は自分流以外を受け入れないから、居る時は云う通りにやっておく方が無難である。
自分の思う通りに出来るのは、家内がアメリカの娘のところに行っている間だけなのである。
★私は、現役の頃から、身の周りの不要な書類などはどんどん捨てていった。
両袖机の二つのキャビネットとあと2段のファイリングキャビネットだけに、常に入るように、入れ物を限定して不要なものを捨てることにしていた。
それでも旧い資料で必要なものなど、周囲の人たちはみんな私のところに書類を見に来ていたりした。
そう言う意味では大事な必要なものだけに絞って持っていたということである。
退社するとき、その自分の書類を家に持ち帰った。
カワサキに勤めて、二輪関係をずっと担当したのだが、カワ販に10年出向して川重に戻った時から退職するまでの資料が時系列に、或いはプロジェクトごとにすべて揃っている。
資料と言っても、下の人が創って決裁したようなものは一切ない。 この殆どが私が自分で創った資料で、その殆どが企画書や方針伝達したモノばかりである。
殆ど事業の中枢の企画にいたので、ある意味カワサキの二輪の歴史は、殆ど正確に残っている。
多分、この時期の今私が持ってる書類は、川重にも残っていないのではと思う。会社に残っているのは稟議書や事業計画書や決算書類みたいなものばかりだろう。
逆にそんなものは一切持っていない。
私個人のキャビネットに私流に整理して入っていたものである。
つい最近も、ある人が貸してくれと10冊ほど持って帰ったリした。 過去のことを調べようとするとこれが一番なのである。
こんな大変な時期のモノが纏めてある。
さらにそれが月別に、このように並んでいて、 それをさらにこんな見出しのようなページに纏めてある。
こう言うのが『私流の整理』であって、ただ旧い書類があるだけでは、それを探すだけでも大変なのだろう。
最近は、インターネットが出来て、いろいろとやり易くはなったが、ホントはこんな手書きのモノの方がいいような気もする。
★20歳の頃から、欠かさず日記が続いている。
これは日記帳だから特に整理をする必要もない。
いつ会社以外でどんなことがあったのか、出張なども日記帳を見れば大体正確に解る。
一番左のノートが、最初の日記である。
何度か書いたが、きっかけは『蒋介石が30年も日記を書いているのがエライ』などと新聞の記事にあったので、そんなもの自分でも書けるだろうと、その日からノ―トでスタートしたのである。
日記帳もだんだん立派になって、1年ものから、3年連用になって、今は5年モノが3冊目に入っている。
もう蒋介石の2倍の60年にもなったから、大いに満足しているのである。
この日記帳や、ファイルの並べ方を見ても、決して整頓 は出来ていないひっくりかえっていても、そんなのはあまり気にならないのである。
会社の時から、自分の意見は全て文章を自分で書き書類にして、残したのはその時々の自分の意見を明確にしておきたかったからである。
『あの時云った意味は・・』などとごまかす方も多いのだが、そんなのが嫌だったのである。
早く亡くなってしまった父が、『男はウソをつくな』と言っていたのを守っているだけかも知れない。