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選挙中の橋下徹さんのツイッター

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★選挙中はネットが禁じられている。

不思議だけどそんなルールである。

候補者のネットはみんな眠ってしまったが、1人橋下徹さんは堂々と呟いている。

選挙に立候補していないから大丈夫なのかな。

 

以下12月5日の呟きである。

ツイッターでも、どんどん呟くから、斜めに読めばいい。

 

公示後の僕のツイッターが、公選法違反かどうか議論されている。結構なことだ。官僚組織がいかに硬直的か、社会的妥当性(常識)より、一度作ったルールを死に物狂いで守る習性がよく現れる論点だ。まず公選法で文書配布に制限があるのは、無制限だと金のある者が無制限に文書をばらまくだろうと。

公選法の趣旨は、金のあるなしで選挙運動に不公平があってはならないということ。ちょっと待ってくれ。ツイッターやSNSは、無料だ。誰でもできる。金のあるなしには関係ない。どれだけ広がるかは、個人次第だ。それと既存の政党は莫大な政党交付金を受けている。

既存の政党合わせて350億円にも上るらしい。先日の新聞報道によると、前回の政権交代選挙あたりは、既存の政党の広告宣伝費は350億円にもなったとのこと。これ、すでに金のあるなしで不公平になっているじゃない。圧倒的に既存の政党が有利

そして日本維新の会は、僕のこのせこいツイッターが唯一のツール。もちろん、ダイレクトに投票呼びかけ行為はしないけどね。公選法が文書の配布に制限をかけたのは、金のある者がバンバン文書を出して、金のあるなしで選挙が不公平にならないようにとの趣旨。 ところが官僚組織は面白い。こういう趣旨はそっちのけで、ネットが文書にあたるかどうかだけを吟味する。そしてネットは文書だから公選法の制限がかかると。やれやれ

もともと金のあるなしで不公平にならないように、という法の趣旨なのに、法の趣旨はどうでも良くなっちゃう。ネットは文書かどうかだけに焦点を当てる。担当者になるとそうなるんだろうね。そしてネットは文書→金のない者の唯一のツールを奪う→政党交付金を莫大に受けている既存の政党だけが有利

結局、ネットでの選挙運動を制限することによって、公選法のもともとの趣旨である、金のあるなしで選挙運動が不公平にならないようにということが完全に反故にされる。面白いでしょ?これが官僚制度の特徴の一つ。担当者がルールをその領域で完璧に守ろうとするから、結局法の趣旨を害することになる。

なんて言うのかな。木を見て森を見ずかな。今の硬直した日本社会は、この公選法適用に見られるような官僚制度による法の適用の硬直化が原因。本当に金のあるなしで選挙運動が不公平にならないようにするためには、ネットでの選挙運動を解禁することが一番。

ネットが、公選法の文書にあたるかどうかなんていうどうでも良い解釈にまた役人があてられる。とにかく仕事を増やす。選挙運動をより公平にするためにはネットでの選挙運動は当然だと言い切れるのは政治家しかいない。ところが今までの政治は、自分の責任になるのが嫌なので専門家会議を開く。

専門家の審議会は、政治家が方針を示して、中身を詰めてもらうもの。審議会に方針を決めてもらうなんて、政治家の責任放棄。ネットでの選挙運動も、専門家に任せてたから、延々議論しているだけ。専門家も責任を取りたくないから決断できない。ネットでの選挙運動には、誹謗中傷の危険もあげられている

でも、ネットでの誹謗中傷なんて、選挙運動に限らず、すでにごまんとあるでしょ?なんで急にネットでの選挙運動のときだけ、誹謗中傷が横行するからダメだなんて言うの?これは反対するための反対理由。誹謗中傷がだめなら、それは選挙運動のときだけでなく一般的に誹謗中傷を防ぐ手立てを考えれば良い

ネットでの選挙運動の最大の利点、カネがなくても選挙運動ができる。この点を一番重要視してルールを考えるべきだ。ネットでの選挙運動は全面的に解禁すべきだ。誹謗中傷の点は、選挙運動に限らず防がなければならないので、この点は別途考えれば良い。

ネットでの選挙運動を制限すると、既存の政党ばかり利する。これから既存の政党は、バンバンテレビ広告、新聞広告をやるだろう。政党交付金という国民の税金で。政党の収入の公金依存率は80

ネットでの選挙運動を制限すると、既存の政党ばかり利する。これから既存の政党は、バンバンテレビ広告、新聞広告をやるだろう。政党交付金という国民の税金で。政党の収入の公金依存率は80%を超えたとの報道があった。となるとこの既存の政党の莫大な広告宣伝費の80%は公金だ。

前回の選挙の際には、350億円が既存の政党の広告宣伝費に使われたと言う。こういう現実があるにもかかわらず、僕のこのせこいツイッターでの選挙運動が禁止??どうなってんだこの日本は?こういうのを正すのが政治でしょ。しかしこれまでの政治は、ネットでの選挙運動の解禁すらできない。

ネットでの選挙運動の解禁すらできないこれまでの政治に、いったいどんな規制緩和を期待するの?このバカげた公選法によって、どれだけ選管事務局が肥大化しているか。どこの政党も規制緩和を掲げるが、その実行力はネットでの選挙運動の解禁すらできない実行力だ。口だけの政治はもう要らない。

政治は実行力。口だけなら誰でも言える。実行力はこれまでの実績で評価すれば良い。日本の国際競争力を上げるために規制緩和が必要だと、どの国会議員も言う。じゃあ、公選法ぐらいなぜ変えられなかったのですか?選挙運動のネット解禁ぐらいの規制緩和がなぜできなかったのですか?と問いたい。

これまでの政治が、硬直した日本の制度を変えられなかったのは、実行力がないから。制度をどーんと変える方向性を出せるのは政治家しかいない。官僚組織に聞けば、いろんな意見が出てくる。だから政治家が方針を決めて、官僚組織にその方針で制度設計させたら良い。これまでの政治は無力だった。

とは言いつつ、現行法上、公選法での文書制限があり、ネットも文書にあたるという総務省の見解もあるので、バカらしいがそれを踏まえる。嫌ならそのルールを変えればいいわけだから。こんなこと審議会で延々議論しても埒が明かない。政治家が決めれば良いことだ。今までの政治は何をやっていたんだ?

それと政治資金収支報告書もバカみたいな形式的ルールのオンパレード。これでまた役所組織は肥大化。世間では考えられないルールばかり。こんなしょうもないことのために、いったいどれだけの役人が動いているか。もっと本質的なこと、政治家の資金を透明化する、という点に力を入れろと言うんだ。

とにかく日本の行政体質は、書面主義、形式主義。これさえやっていれば、自分たちの責任は免れるという発想で官僚組織はルールを適用する。法の趣旨が何なのかを追求しない。政治資金収支報告書のバカみたいな形式主義はあきれるばかり。選挙の収支報告書も。こういのも政治家が変えないと。

今までの政治家は、選挙運動の収支報告書、政治資金の収支報告書の、バカみたいな形式主義、書面主義をバカだと感じない。それくらい世間の感覚がない。日本の社会は、一事が万事これ。そして閉塞感漂う社会になっている。これくらいのルールを正せない政治が、世の何を正せると言うのだ。

そもそも選挙運動収支報告書、政治資金収支報告書のバカらしい形式主義のおかしさすら感じていないのだろう。断っておくが、政治家の金の流れは徹底して明らかにすべき。ところが今のルールは、そうなっていない。肝心のところはザル法。そしてどうでも良いところだけバカみたいに形式的に厳格。

そしてこの形式主義、書面主義は、どんどん役人の仕事を増やす。どんどん役人を必要とする。そしてその仕事は、ほとんど責任の伴わない形式的な作業。日本の行政組織は一事が万事こうなっている。だから肝心の国民の利益を守れない。典型的だったのは原発行政。膨大な書面を事業者に求める

そして形式的チェック主体。それで、原発事故を防げなかった。このような日本の行政体質である以上、原発を抱えることはできない。裁判所も書面主義を改めようとして苦心している。日本の行政も、その思想、哲学、体質から変えていくべきではないか。書面主義、形式主義は、行政にとって一番楽。無責任

このような行政哲学を変えていくのも、政治しかない。これまでの政治は、変えられなかった。一気に変えられるわけがない。戦略は細部に宿る。公選法、政治資金・選挙運動収支報告書のバカみたいな形式主義を変えるところから一歩踏み出すべきだ。

原発政策についての僕と石原さんの認識は完全に一致。脱原発依存体制の構築は目指して行こうと。ただ具体的な中身はしっかりと検証しよう。官僚組織や専門家をフル稼働させて。そして確信を持って国民に宣言しようと。今は、官僚組織をフル稼働させて検証した具体案を誰も持っていない。

閉塞感漂う日本を打ち破る!まあどの政治家も言いますよね。今回のこれだけ重要な衆議院総選挙。この選挙自体が閉塞感がプンプン漂っている。公選法についてのネットも文書にあたるという総務省解釈、たったこれだけで。1500人を超える立候補者は、ピタッとネットの活用を止めた。

選挙運動こそ、一番政治論争が盛り上がる時期のはず。そして1500人を超える立候補者がいれば、ネットの中ではそれこそ物凄い政治論議になっていたはず。立候補者が政策を主張し、さらに有権者もネットで応える。もしかするとここにサービス業が芽生えるかもしれない。

朝日新聞だって、いつものデモを最大限尊重し、間接民主制より直接民主制、何でもかんでも熟議絶対主義なんだから、ネットでの国民全体での政策論議は大賛成だろう。これを全部止めているのが、公選法についての総務省解釈。日本社会は一事が万事これ。総務省解釈なんて数人の役人の解釈だよ。

これだけ論点多肢にわたる総選挙。国民だって何がなんだかわからないはずだ。一方テレビも官僚的でとにかく揉めないように必死。なんなんだ、この公平性ってやつは。国民のことなど何も考えていない。とにかく政党からクレームが来ないように番組をこなす

14人も政治家を集めて1時間番組で何をやろうってんだ?14人も政治家が並んでワーワーしゃべって、何を言っているんだか全くわからない。テレビ局は、それでも公平性を守ったから文句は来ないとして良しとする。ところが国民は全く政策論争が分からない。テレビ局も完全に官僚的思考。

新聞の紙面だって限界がある。こんなメディアの状況だからこそ、最大限に力を発揮するのがネットじゃないか。1500人の立候補者が政策を訴える。有権者がダイレクトに応える。また立候補者が応える。政党が違う立候補者どうしが論争になる。文字だけでなく画像が流れる。

リアルな討論会が時間を問わず行われる。有権者もその中にどんどん入る。これが本来の選挙運動、民主主義だろう。それがネットは文書にあたるからネットでの選挙運動は禁止。こんなバカな総務省解釈で、全てのネット民主主義が禁止。バカだね〜日本社会は。

そして今行われている選挙運動は何か。バカみたいな形式的ルールによる儀式的な運動。名前の連呼。何枚枚と言う証紙をビラに貼る無意味な途方もない前近代的な作業。何から何までばかげている選挙運動。ネットでの選挙運動を解禁すれば、どれだけ選挙が盛り上がるか。新しいサービス業が生まれるか。

ネットでの選挙運動の弊害は、それなりに対応したらいい。せいぜい誹謗中傷の類で諸。そんなのは選挙運動に限らない。一般的な弊害だ。弊害のことを考えるより、なぜメリットの方を想像しないのか。これが官僚的思考。まず弊害のことばかり考える。問題を起こすくらいなら自分の担当中は現状維持が良い

官僚組織の弊害は、担当者が皆問題を起こさず2、3年の任期を無難に過ごそうとすること。そしてそれが積みあがって、とにかく現状維持となる。ネットの選挙運動を解禁にすれば選挙が劇的に変わる。こんなことくらい政治家が想像できなくてどうする?変えなくてどうする?

これまでの政治は、こんなことさえ変えられなかった。一事が万事これだ。これが積み重なって社会の閉塞感になっている。ネットでの政治運動は絶対に解禁すべきだ。まずやるべき規制緩和。選挙が盛り上る。民主主義が成長する。新しいビジネスが生まれる。これを止めているのが総務省解釈。くだらね。

 

 

 ★いろいろ言ってるが、

このネット社会でネットがダメという発想がおかしい。

ビラなどばかり配るから、選挙にお金が掛る。

 

ネットは無料だから、どんどんやればいい。と思う。

なぜそんなことが変えられないのかホントに不思議である。

 

各党の言い分を聞いてると、みんな『いいことを言う』

でもホントにそれが実現しない。 安倍さんは今度は出来ることを言うのだという。

 

兎に角、『政治の仕組み』を変えて欲しい。 その実行力があるかどうかだ。

個別の政策はその土壌の上で議論してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 


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