★ 次の日曜日に、工事中だった『神戸と高槻間の高速道路が開通する』と言うニュースが流れた。
今は日本国中高速道路網が張り巡らされていて、関西でもこのような高速道路網になっていて、それは年々充実してゆく状況なのである。
★ 私自身は車の運転は好きだし、地理が好きで道路がどこからどこまで走っているかということにも、他人並み以上の関心がある。
日本の道について結構詳しいのは、日本の全都府県のうち沖縄を除いては全て自分でハンドルを持って走ったし、特に東北・北海道については、夫々4年・2年と担当していて、地元の人以上に道には詳しいかも知れないのである。
川崎航空機工業が『二輪事業』を実質スタートしたのが昭和36年で、本格的に事業展開をやり出したのが、昭和38年(1963)なのだが、その当時の会社の勤めでは車に乗って自分で運転して動くなど考えられなかったのだが、突如二輪事業をやり出して、各地の販売店訪問やその年始まった『ファクトリー・チーム』でのレース展開など『クルマの運転』が必要に迫られて私は免許を取らざるを得なかったのである。
その当時の日本はどんな状況かと言うと、運転免許を持っている人など珍しかったし、ましてや自分で車を持っている人は100人に1人いるかいないかの時代だったのである。
そんな時代だったのだが、各地で展開されるMXレースの現場に行くには車やトラックは必需品で、当初は会社の運輸部のトラックで運送などしていたのだが、そのうちに担当はみんな免許を取って自分で運転することになったのである。特にロードレースをやり出したのが昭和40年で『鈴鹿サーキット』に出向くことが多くなり、出来たばかりの『尼崎ー栗東』間の高速道路を走ることになったのである。『名神高速』として完成したのは、1965年(昭和40年)7月に『尼崎ー名古屋』が開通して、これが日本で唯一の『高速道路』だったのである。
そんなことから、私が車の運転免許を取ったのが昭和40年6月(1965)で、名神高速の完成 と同時に私の車の運転が始まっているのである。ちなみに、鈴鹿サーキットが出来たのは昭和36年で、その年の夏、看板の件で鈴鹿サーキットを訪ねたことがあるのだが、その頃は未だ高速道路はできていなくて、栗東を通って延々と地道を走って大変だったのである。レース関連で鈴鹿を訪ねだしたころは、栗東までの高速は出来ていたのでよかったが、それでも栗東から鈴鹿までは鈴鹿峠もあったし、今の倍ほどの時間が掛ったのである。
★今の人たちには全く経験のないような環境だったのである。
私は昭和42年からは、レースを離れて東北6県の営業担当になるのだが、東北6県の幹線道路は舗装されいたが、仙台―山形や盛岡―秋田の山越えは未だ『砂利道』だったのだがそんな道を自分で車を運転して走り回っていたのである。
当時、道はなぜか関西の方が進んでいて、東名高速道路は1969年(昭和44年)5月に全線開通したのだが、私の東北時代は未だ開通していなかったので、仙台ー明石間1000キロを名神以外は全て地道で、静岡あたりで1泊して長距離を走ったりしていたのである。
昭和45年からは、大阪に異動してそこを拠点に近畿・中部・東京を担当することになるのだが、その頃は東名高速もできて、名古屋には殆ど車の異動、東京もたまには車でということも多かったのである。
一言でいうと東京オリンピックを契機に、新幹線も走ったし、東京に高速道路も出来たし東名高速も開通して、『新しい日本の交通網』がスタートしてゆくのである。そういう意味では、私は高速道路の恩恵をいろいろと『肌に感じて生きてきた世代』と言ってもいい。
当時、英国の舗装率が100%に近いと聞いて、『日本はとてもそうはならないな』と思っていたのだが50年経った今は「砂利道」が珍しい環境になっているのである。
★ 私が自分で車に乗って動き回っていたのは、このころまでで、未だ日本には名神と東名高速道路しかなかったのだが、いまはこんなに網の目のような状況になっている。
尼崎―栗東間が開通した昭和38年(1963)から、55年の歳月が流れているのだが、この50年もの間に日本も変わったものである。
名神高速が出来たころは、殆ど車は走っていなくて、カワサキの二輪の開発テストなども特にA1などは名神で、それも金谷秀夫や歳森康師などのライダーも手伝ってやっていたのである。今では考えられないが、当時は二輪の走行テストも十分できたほどガラガラのそんな時代だったのである。
冒頭の神戸―高槻間の道路も宝塚あたりの恒常的な渋滞解消の目的が大きいのだと思うのだが、地図で見る限り高槻まで直線だし、こんな道が出来ると、三木ー京都なども1時間も掛からないのだが、日本の場合は高速料金が要るし、京都などは駐車料が高くて車での移動は、とても現実的ではないが、高槻は一時住んだことのあるまちだし、道だけは機会があれば一度走ってみたい道ではある。
いつの日にか、アメリカのように料金無料の『フリーウエイ』になる日が来るのだろうか?