★2004年、71歳。
この年の出来事を見てもよく覚えていない。ある意味平穏な年だったのだろう。
★この年、私の周辺であった大きな変化は、神戸の西神と言う三木のすぐ近くに住んでいた娘一家が、アメリカに移住したことである。
娘婿がノーリツのアメリカ市場進出に伴いアメリカ勤務になったからである。男の子ばかり3人の孫たちが未だ小学生の頃で孫たちと遊んでやるのが、結構な私の仕事であった。
特に真ん中の真也は未だ小学2年生の頃で、川での魚取りや、森でのカブトムシ採りなどに引っ張りまわされていたのだが、8月からは一切それがなくなってしまったのである。
そんなことから、私の生活のパターンがちょっと変わっていったのだと思う。当時は既にパソコンも既にあったのだが、ネット関係もパンダ碁を打つぐらいだったのだと思うが、この年の年末に初めてデジカメを買っているのである。
私はそれまで、カメラなるものを持ったことがなかった。写真を撮るのに手間がかかり過ぎるのがどうしても自分で写真を撮ろうと思わなかった理由である。カメラを買う、写真を撮るのはいいのだが、そのためにはフィルムを買う・現像する・それを選んで写真にする・一緒に撮ってあげた人にあげる・アルバムに貼る・・こんな一連の作業が面倒で、どうしても自分で写真を撮る気にはならなかったのである。
現役時代には結構世界を回ったし、日本でもいいところいっぱい行っているのだが、『自分の目で確り見る』ほうがいいなどと変な理屈をこねて、現役時代は他人様から頂いた写真以外はないので、今から思うと勿体ないことをしたとは思うのだが・・・
デジカメを買おうと思ったのは、そんな手間が一切なくなったことと、多分もう一つは『孫の世話の手間』の時間が無くなったから、『何か新しいこと』をしようかと思ったのだと思う。
これがこの翌年、アメリカから遊びに戻ってきた孫を撮った写真なのである。
最近は毎日のように撮っている写真も、スタートしたのは2005年のことなのである。
それにしても孫たちのアメリカ生活も14年も経つのである。
英語がペラペラで、アメリカ人のような発想になるのも当然なのかも知れない。 そんな転機の年だったとも言えるのである。
★この年の初めごろのことだが、初めてアメリカに進出する『ノーリツ』だったので、その担当となった娘婿にKMCに『いろいろ教えてやって欲しい』とお願いしたのだが、娘婿から『KMCの太田さんと言う方にお世話になっている』とのメールが届いたと日記にあるのだが、ひょっとすると今カワサキの二輪事業のTOPの 太田さんではないかな? と思ったりしているのである。
私は面識はないのだが、確かKMCに出向されていた時期があるはずなのである。
ちなみに『ノーリツ』の創始者の太田敏郎 さんは、カワサキの副社長もされた髙橋鐵郎さんの海兵時代の同期で、その弟の太田武郎さんは私の大学の野球部の2年先輩でもあったので、元々カワサキとノーリツはいろいろ関係もあったのである。この件もすぐ髙橋鐵郎さんの耳に入って、直接電話など頂いたりしたのである。
そのほかこの年で特筆することを上げるなら、今も続いているゴルフコンペ『Z1会』にこの年9月に入会している。この入会を誘ってくれたのは、大槻さんや稲村さんと言うこの会のトップではなくて、カワサキの6時間耐久ロードレースを最初に走った当時のテストライダーの飯原武志くんが声を掛けてくれたのである。この会に入会したお蔭で、その後の私のゴルフライフが続いているのである。
定年後ずっと続いているストレッチの効果がやっと出始めたのか、日記に『足腰の調子がいい』などとの記述がある。ストレッチを始めて3年目にしてやっと効果が出てきたのかも知れない。最近は腰は重くなったりすることはあるのだが、基本的に全く問題はない状態が保てているし、柔軟性は毎年少しづつだがよくなっているのである。
私の70代のスタートは静かに始まったのだが、何となく『新しいことを始める』環境が整ったそんな年だったのかも知れない。