★Yahoo の意識調査は結構よく見る。
世の中の、どちらかというとネット族の意識がよく解ってオモシロい。
こんな現在の『新三種の神器』を幾つ持っていますかという設問である。
その答えは、このようになっている。
全部持ってるというのは7%ぐらいで、約半数の50%が持っていない。
我が家も『持っていない』である。
私自身は、家事は殆ど手伝わないのだが、若しやるとなっても、どうも『欲しい』とは思わない。
いずれも家事という毎日の労働を避ける用具だが、大家族なら兎も角、いまのような夫婦二人の生活には不要だと思う。
食器洗い機などの構造を見ていると、そこにセットする時間で洗えてしまうような気がする。
家内は、何故か洗濯が好きで、特に天日に洗濯物を干すのが趣味みたいだから、これは全然欲しがらないだろう。
洗濯機はごく最近、買ったのだが二人世帯なので、そんなに大きくない手動のものを選んでいた。
ロボット掃除機など、床の上に放置してあるものを片付けるほうが手間のような気がする。
★「三種の神器」とは、日本神話の時代から来ているのだが、
三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのしんき(じんぎ、しんぎ))は、日本神話において、天孫降臨の時に、瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたという鏡・玉・剣のこと と載っている。
こんなことが言われだしたのは戦後だが、
● 1950年代後半、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電品目が『三種の神器』として喧伝された。
とあるように、テレビも洗濯機も冷蔵庫もなかった時代には、これは貴重だったと思う。
戦後、力道山のプロレスなどは、テレビ放映があったのだが、家庭にはテレビがなかったので、これを観るために喫茶店に行ったりしたのである。 昭和25年(1950)私が高校2年生の頃である。
多分、当時は三つとも家にはなかったのだと思う。
● 1960年代半ばの いざなぎ景気時代には、カラーテレビ(Color television)・クーラー(Cooler)・自動車(Car) の3種類の耐久消費財が新・三種の神器として喧伝された。これら3種類の耐久消費財の頭文字が総てCであることから、3Cとも呼ばれた。
1965年(昭和40年)は 東京オリンピックのちょっと前、世の中はどんどん進化した。
私は30歳の頃、新婚家庭だったが、洗濯機・冷蔵庫はあったが、白黒テレビがやっと買えたころだと思う。
カラーテレビを買ったのは 昭和45年大阪万博の年、この年に初めて自動車も買ったが、クーラーは会社にしか付いていなかった。
★その頃の『三種の神器』は、当時本当に欲しかったと思ったが、現在の『新三種の神器』など、それに比べたら大して『欲しい』とも思わないのでは・・・
それだけ豊かになり、『モノに対する所有欲』などが衰退してしまっているのだと思う。
そういう意味では、『価値観が多様化』した現代に生きている。
いま、一番欲しいものを三つ挙げよ と言われても、なかなか即座に答えが出てこない。
『健康?』 結構、健康なので敢えて欲しいとも思わない。
『家も車も』 今ので充分である。
『お金?』 不思議なことに、若い貧乏な頃から『お金が欲しい』と思ったことがない人生だった。
『必要以上にお金を持つマイナス』みたいなものを、小学校時代に経験したからかな と思う。
戦後の苦しかった時代、中学・高校時代『お金の大切さ』は十分認識していたのだが・・・
この年になって、一番大事なものは 『仲間かな』と思ったりしている。