★40年も経つと、家の中にはいろんな頂き物がいろいろとあるものである。
自分で買ったモノも勿論あるのだが、どちらかと言うと『頂きもの』が多いのである。
そして、その一つ一つにいろんな想い出が収まっていおる。
ふと、そんなことを思って、家の中にあるいろんなモノの写真を撮ってみた。
どなたに頂いたのか、はっきりと記憶しているものもあるし、全然忘れてしまっているものもある。
絵など芸術品の価値はどんなものか全く解っていない。
ひょっとしてめちゃ高価なモノもあるのかも知れない。
然し、そんなことよりも、その方との想い出の方が懐かしい。
まず、この2点、
これはヤマハオートセンター、今のレッドバロンの創設者 杉浦斎さんからの頂き物である。
品物がどうのと言う前に、 『杉浦さんから頂いた』ことが自慢である。
二輪業界では少々うるさいことで通っている杉浦さんである。私自身も彼と話しているその殆どが、仕事上の交渉事で『やり合っていた』時間なのである。朝の9時ごろから夕方の6時ごろまで、仕事の話から脱線せずにずっと議論していたような仲である。
喧嘩ばかりしていたのだが、お互い案外気があって、何度もお会いしたことがある。業界の会合などで『杉浦さんにモノ頂いた』と言うだけで、みなさんビックリなさるのである。お酒なども頂いたが、モノで残っているのは、この2点かも知れない。
ちなみに初めて杉浦さんと会ったのは、ヤマハオートセンタースタート直後、まだ岡崎の1店舗だけのころで、カワサキ特約店制は、最初大阪南、京都、そして岡崎営業所の3点でスタートしたのだが、その時の特約店だったのである。
今は、多分世界で一番大きいバイク屋さんになって、ホームページを見たら会長さんになっておられる。一度仕事を離れてお会いしてみたい方ではある。
これは、多分、宮本進君、かって大阪営業所時代の仲間である。
宮本、古石、竹内君、3人とも大阪営業所時代以降ホントにお世話になったと思っている。3人3様にほかの人にない実力者の面を備えていた。
後、滋賀カワサキなど、やられていたが、船場の先代岡田博さんなどと、ちゃんと話の出来る実力者で、カワサキの特約店制はある意味彼の力で出来たのだと秘かにそう思っている。岡田博さんがアレほど熱心に推進されなかったら、・・・と思う。『船場さんをその気にさせたのは、彼の力』なのである。
ちょっと大企業の人たちには真似の出来ないオモシロいところがあった。 昨年だったが、鈴鹿で有名な、さざきひろしさんが、出身が大津と言うので『宮本進知りませんか?』と聞いたら『親戚です』などと言ってたが、ホントかな?
これは岩崎茂樹君が、何を思ったのか亡くなる寸前に家まで届けてくれたのである。
彼も犬好きだったし、後ろの写真の3匹の子犬の母親は、岩崎君の紹介してくれた犬屋さんで買ったのである。
岩崎君とは、仕事でもレースでも、いろんなところでお世話になったが、今ネットの世界で繫がっている何人かも『岩崎茂樹君とのご縁』でつながっているのである。
このような芸術品の価値は全くワカラナイ。
ただ、何となく、『いいような気もする』のである。
親しい方からの頂き物だが、曰く
『今はそんなに高価ではありませんが、伸びる可能性のある人の作品です。』と言うふれ込みなのである。
作者がどなたなのかも知らないが、ひょっとして今なら『何百万円の価値』があるかも知れないのである。
これは寝室の窓辺に置いてある。
木彫りのトリと像はいずれも、インドネシアか、東南アジアのお土産である。
左は川重の大竹秀雄さん、右の像は吉永オートサービスの吉永興世さん、お二人ともはやく亡くなってしまった。
どちらも、かけがえのない仲間であった。
そして真ん中は、故堀川運平さんが主催された企営会の優勝カップ、銀製である。優勝カップは幾つもあるが、銀製はこれだけである。
何よりも13回の優勝者が13人いて、その取り切り戦で優勝したので家にある、これは宝物である。
大竹、吉永さんもそうだが、この13人カワサキの二輪事業の功労者ばかりの名前が並んでいる。
第1回 田崎雅元 昭和50年12月20日
第2回 田中 誠 昭和51年4月21日
第3回 橋本 賢 昭和51年10月2日
第4回 宮田敬三 昭和51年12月4日
第5回 那波義治 昭和52年3月19日
第6回 土井栄三 昭和52年6月18日
第7回 古谷錬太郎 昭和52年9月17日
第8回 堀川運平 昭和52年12月3日
第9回 苧野豊明 昭和53年3月18日
第10回 野田浩志 昭和53年7月15日
第11回 若山禎一郎 昭和54年3月17日
第12回 酒井勉 昭和54年7月21日
第13回 前田祐作 昭和55年5月2日
そして取り切り戦がいつだったのか、私の手元にカップはあるのだが、いつだったのか?
こんな想い出が、家の中にはいっぱい残されている。このほかにもいろいろあるのだが、想い出を懐かしむ年代になってしまった。
この時代、なかなかよかったのだが、まだまだ二輪事業は安定期には入っていなかった。
本社財務から堀川運平さんがお目付け役で単車に派遣されていた、そんな時代なのである。
ただ、不思議なことに、本社から派遣された堀川さんも、そののち来られた大庭さんも、
本社に戻られる時は、『単車ファン』になって戻られたのは、『カワサキの単車事業』に、何かいいものがあったのだろう。
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