★ 明石高校野球部が近畿大会で、智弁和歌山に勝利して、準決勝に進んだ。
春季近畿地区高校野球大会(主催・近畿地区高校野球連盟)の1回戦の残り2試合が27日、兵庫県明石市の明石トーカロ球場であった。
第1試合は明石(兵庫3位)が智弁和歌山を7―2で下した。第2試合は、今春の選抜大会を制した大阪桐蔭が、東洋大姫路(兵庫1位)に7―0で快勝した。
準決勝は6月2日、決勝は翌3日に、いずれも同球場で行われる。準決勝の第1試合(午前10時)は報徳学園(兵庫2位)―智弁学園(奈良)、第2試合(午後0時半)は明石―大阪桐蔭。
◎…明石は2回、3四死球で2死満塁とし、川原の振り逃げの間に三塁走者がかえって先制。続く3回にも中前安打で出た福山が盗塁と暴投で三進し、船山がスクイズを決め追加点をあげた。以降も小刻みに加点して点差を広げた。
智弁和歌山は1回、先頭の沼倉が右前安打で出塁。続く阪本が四球を選び無死一、二塁としたが、次打者が三重殺に打ち取られ、波に乗りきれなかった。
このように記事には書かれている。
★先に行われた、兵庫大会で明石が久しぶりに、いいところに名前があって、
近畿大会に出場したことも知っていた。観に行きたかったのだが、予定があってどうしてもダメだったのだが、相手が智弁和歌山ではなかなか勝つのは難しいのではと、正直そう思っていた。
記事の見出しは、
『63年ぶり 明石が近畿大会勝利!!』 だったのである。
ひょっとしたら???? 在学中の時期ではないか?
計算してみると1949年、昭和24年私が1年生の年なのである。
でも、全然記憶にないのである。
当時の明石は、ホントに強くて常に兵庫県ではトップの地位にいた。
そんな明石でもこの年は間違いなく、ダントツで強かったと言っていい。
★ピッチャーはのち慶応に進んで朝日スポーツ賞に輝いた山本治さん。
キャプテンは、明石、関大、日生、全日本、全て4番以外を打ったことのない大津淳さん。のち阪神タイガースでクリーンアップを打っていた。
当時のチームでは多分近畿大会など、大した目標でもなかったから、私の記憶にもないのかも知れない。
前年の春の選抜には出場して、夏も優勝候補の筆頭だったのに明石が大雨で西宮球場での予選に行かなかったら、西宮は雨ではなくて不戦敗になったりしたのである。
24年の夏は確か準決勝で芦屋にまさかの敗退だった。翌年の夏は優勝して甲子園。その翌年は準決勝で育英に負けた。優勝した芦屋が全国優勝を果たしたのである。
山本治さんが卒業したあとは、同期の溝畑がまたいいピッチャーでほとんど2点以上は取られなかったから、何となく強かったのである。夏の予選で完全試合などもやったのだが、パーフェクトゲームの意味がもう一つよく解っていなかったそんな時代だったのである。
当時は何故か、公立高校の方が強かった。そんな時代だったのである。
時代変わって、昨今は私学の野球部が圧倒的に強くて、『明石高校』の名前など全く聞かれない時代になった。
そんなときに突然である。
6月2日も、どうしてもダメだから、
大阪桐蔭に若し勝ったりしたら、明石球場に駆け付けなければならない。
明石球場は、夏の前など高校時代ずっと練習に使っていた球場なのである。
ちなみに、巨人の春のキャンプはずっと明石球場だった。 廣岡も、藤田も、長嶋も、王も新人時代明石球場でデビューした。藤田は同期、長嶋が2年下なのである。
間違いなく、2年先輩の大津さんも高木さんも、1年先輩の新納、津々木、本木さんも、同期の溝畑、藤井、関など顔を見せるに違いないのである。
つい5、6年前までは、夏の甲子園に出た新納さんの年次を中心に、1年下までの連中を入れて定期的にOB会も賑やかにやっていたのに、残念ながら今はこのくらいしか名前を挙げられなくなってしまったのである。
5年ほど前、新納さんがOB会長をやられた時は、否応なく『副会長』をやらされたりして、幾らかでも繋がっていたのだが、いまは全く疎遠になってしまったのである。
ぜひ桐蔭に勝って欲しいものである。
★でも、こんなところで、『兵庫県立明石高等学校』とは毎日繋がっている。
Facebook の明石高校のグループである。600人以上のメンバーがいるが、多分最年長ではないかと思っている。
このブログ、リンクしてアップしようかなと思っている。
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