★新緑の候、という5月になってちょっと季節外れの桜の話だが・・
産経新聞に 『鎮海の桜』
http://www.sankei.com/premium/news/160529/prm1605290001-n1.html
というこんな韓国の桜の記事が出ていたのでちょっと調べてみた。
鎮海の桜は、日本の吉野山の約10倍、34万本の桜があるという。
ちょっと、その規模が違うのである。
桜といえば、日本の花のように言われているのだが、韓国にも桜の名所はいっぱいあったような気がするのである。
終戦の年、中学1年生まで今の『ソウル・昔流に言うと京城』にいた。
住所は 京畿道京城府城東区新堂町桜ヶ丘だったし、通った小学校は『桜ケ丘国民学校』だったのである。
その名の通り、その住宅街にはどの家にも桜の木が植えられていたのを覚えている。
現在の地図にも『城東区』も『新堂』という表示も残っている。
東大門市場の右下のほうで大体の場所は解るのだが、日本と同じく周囲が開発されて山がなくなってしまっている。
そんなソウルの 桜の名所 なども載っているのだが、一番有名だったのは『昌慶苑』の桜だった。
確か動物園もあったし、池では冬スケートが楽しめたのである。
そんな『昌慶苑』を探していると、次のような文章に出会ったのである。
いつも満開の桜を見ると思うんですよね。韓国の桜の運命を…です。
まだ韓国に来てまもない頃、韓国人の友達が言ったことに驚いたことがあります。
友達:「幼稚園の遠足で昌慶宮(チャンギョングン)に行った時には、桜がホントにきれいだったんだ」
わたし:「今だってきれいだよ」
友達:「いや、その頃はもっと桜だらけだったの」
わたし:「え?じゃあ桜がなくなったってこと?」
友達:「その頃は動物もいたんだ」
わたし:「故宮にどうぶつー??」
友達:「むかし日本が動物園つくったの知らなかった?」
こういう時の気持ちをどう表現したらいいのでしょう。今は故宮として韓国情緒たっぷりの昌慶宮に動物園があったり、お花見をしたりしたなんて…。
その後本で調べると、「日本は朝鮮を植民地支配した直後の1911年、昌慶宮を昌慶苑と名を改め、日本式庭園を造り桜を植え、動物園や大温室を造った。1924年頃から夜桜見物をする人でにぎわうようになった。」ということでした。
戦後も公園はそのままになっていたので、友達のような話があっても当然なのです。動物をソウル大公園に移し、大々的な復元工事が始まったのは、1983年からといいますから、ずいぶん最近まで植民地の名残はそのままだったわけです。
確かに、まだ子供の頃のことでそんな経緯は知らなかったが、やはりちょっと複雑な想いである。
それはともかく、韓国のソウルの桜も本当に綺麗である。
いろんな想いもあるのだが、
ソウルは私にとっては、子どものころの想い出いっぱいの『育った故郷』であることは間違いないのである。
★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。