★今年は、『いかなご』が不漁だと、それがニュースになっている。
明石の魚の棚の魚屋さんには、毎年 いかなごのくぎ煮にするために、沢山の人が訪れるという。
私の本籍は明石で、それも戦前の小学校低学年の頃は、明石市細工町20番地 だった。
それはそれこそ魚の棚の通りまで100メートルのところだったし、魚の棚(ウオンタナ)と呼ばれているが、それは通称で町名は細工町のはずである。
戦前から『くぎ煮』などあったのだろうか?
『いかなご』に初めて出会ったのは、戦後昭和21年(1946)の春だったが、食料難のまっ盛りで、『いかなご』も立派な親魚ばかりで、今のような小さな『いかなご』などはお目に掛らなかったし、その料理も腹にこたえる『てんぷら』が多かったように思う。
このような記事もあるように、間違いなく大きないかなごの方が旨いように、私には思える。
こんな小さい時に、獲ってしまって、『くぎ煮』など幾ら上手に作ってみても、
所詮は、『つくだ煮』みたいなもので、魚の自然の味などは、殆どないように思うのだが・・・・・
お母さん方が、『くぎ煮』を創ること自体に、それをあちこちに送ることに、自己満足しているのではないかと 思っている。
『いかなご』のくぎ煮の発祥の地は、明石ではなくて、垂水だという説もあるようだが、
全国で獲れるのに、なぜ関西のこの地区だけにこのような文化が育ったのだろうか?
こんな感じで、魚の棚では売られている。
大きくして食べるようにしたら、量も10数倍になるだろうし、
生きた魚が好きな私などは、こんな稚魚の内に獲ってしまって、『可哀そうだ』という感じの方が先に来てしまうのである。
今年の不漁の理由は、『よく解らない』のだとか・・・